西暦2013年 本格的自然釉 武吉廣和 新作展 Ⅳ 茶碗展
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祝 高速道路開通  赤松30トン、10昼夜の焼成。

期間:2013年 10 1日(火)〜16日(水) 時間:AM 9:00〜PM 5:00
会場:ギャラリー 龍窯
   〒786-0097 高知県高岡郡四万十町日野地326
  <ギャラリー龍窯 地図>
   Tel&Fax/0880-23-0054
   作家携帯/090-4506-0572
   ● 龍馬空港からギャラリー龍窯まで 車で1時間半。
     四万十町中央ICより 車で25分、松葉川温泉 手前1kmに看板あり。

私の茶碗と老子


東洋美術では作家の心の桃源郷をテーマにしたものが多い。
私の窯がある松葉川地域、四万十川の支流日野地川は写真のような清流である。
すぐ近くの松葉川温泉上流を家族で散歩中に撮ったもの。
まだ紅葉前だが清冽な流れや澄んだ淵は美しい。老子を読みつつ散策する。

私の茶碗の自然釉は川の澄み切った水の色、
紅い緋色や金色の土肌は紅葉の色・・・
作家が制作する時代と空間と宇宙観は作風に決定的影響を与える。

古四万十川

高知大学の満塩大洸・山下修司両氏の研究によると、40万年以上前、今より海面が100メートルほど低い氷河時代、古四万十川は、北は東津野村の不入山を源流に太平洋に向かって南下、松葉川、窪川、与津地川を経て興津の沖を河口にして太平洋に注いでいた。
もうひとつは西にあり、十和あるいは檮原川を源流にした川で大正を流れ下り太平洋に向かって南下して、窪川で合流していた。
それが興津ドームという興津の山塊の隆起によって南下を阻まれ、河口を失う。ダムのように流れがせき止められ、今の窪川盆地の中心街の榊山町あたりに湖が出来たらしい。

次に河口は隆起現象の小さな西に移り、窪川の若井川から伊与木川を経て佐賀の沖に河口を持つようになるが、さらなる興津山塊の隆起で佐賀沖への流出も阻まれる。
10万年前頃には四万十町十和と、この猛暑の夏に日本一暑い41度で有名になった四万十市江川崎までの間の山々の低地をぬって運河を掘るようにして、自然に川が生まれ開通してしまう。
その結果、十和を源流にして窪川に南下していた古四万十川が、なんと窪川−大正ー十和ー江川崎へと北に向かって逆流するようになり、江川崎から再び南下、四万十市中村で太平洋に注ぐ。

こうして四国で一番長い、全長196キロメートルの四万十川が出来たそうな。
おおまかに言えば四国山脈から太平洋に南下する3本の川のうち真ん中の1本が興津ドームの隆起で逆流することにより3本が合体して反転したS字形の大河、四万十川になったという。

四万十川源流の不入山の標高が1336メートル、松葉川の私の窯場が330メートル、窪川町市街地の標高が205メートル、大正が149メートル、十和が86メートル、江川崎が72メートルで、窪川と十和の標高差は119メートルもある。逆流前を想像することすら出来ない、当然、窪川ー十和間が水平だった頃があるわけで、長い長い湖があったということにもなる。
いったい興津ドームの隆起とは何だろう。あの地中海だって海面が下がりジブラルタル海峡が陸続きになり、地中海は大きな湖になって、さらに6回か7回か忘れたが、完全に干上がった時代があるし、瀬戸内海も草原でナウマン象がいた。

四万十川上流という地球上の一点の場、西暦2013年という時のヒトコマから
私の茶碗は生まれてゆく。


紹鴎信楽と燿碗
39歳の頃、三重県の友人のところに、高知から、ギャラリーのオーナー夫妻と紙すきの名人4人で遊びに行った。
彼は、唖然とするような高額で最近骨董屋で買った空中信楽(空中は光悦の孫)という茶碗でお茶を立ててくれた。
その茶碗は本当に楽しい茶碗だった。
江戸以前の穴窯焼成なのに自然釉の痕跡はみつからず、淡々とした土の表情、かといって、からっとした連房式登り窯の酸化冷却でもなく、茶溜まりは逆に瘤のようにもっこり隆起していて、口辺はべらべらになっていて飲み口は対角にふたつ作られている。褐色で地味なのにどうしたことか茶碗の性根は強靭で崇高。

高知に帰ったあとも忘れられず、脳に矢が刺さったようで気になってしかたがない。そしてその矢はますます大きくなった。
翌年に結婚したので、その茶碗でもう一度お茶を立ててもらおうと新婚旅行に出かけた。
「あれっ。あの茶碗こんなに小さかった?」と言うと、友人は「みんなそう言うよ!」とのこと。
その後、東京国立博物館の林屋晴三氏の鑑定で武野紹鴎の信楽茶碗すなわち「紹鴎信楽」ということに落ち着いたという。
日本でたった4碗目か5碗目かの大発見ということ。
千利休の約束事以前のアウトロー茶碗のお話。

千利休の師である武野紹鴎は「みわたせば 花ももみじも なかりけり 浦のとまやの 秋の夕暮れ」という藤原定家の歌で表現された桃源郷の風景、「枯れかじけ寒かれ」という禅の精神的境地「空」で茶碗を作っている。
これに比して、昭和19年頃制作された出口王仁三郎の極彩色の燿碗は「極楽」「天国」「天界」を物質化しているように思える。
ひとそれぞれである。
 
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