ギャラリー 龍窯 2013年 如月展 閉じる
祝 高速道路開通  赤松30トンで、10昼夜焼く。
期間:2013年 2 2日(土)〜18日(月) 時間:AM 9:00〜PM 5:00
会場:ギャラリー 龍窯
   〒786-0097 高知県高岡郡四万十町日野地326
  <ギャラリー龍窯 地図>
   Tel&Fax/0880-23-0054
   作家携帯/090-4506-0572
   ● 四万十町中央ICより 車で25分、松葉川温泉 手前1kmに看板あり。
縄文文化研究 その2

今朝起きたら雪だった。
昨日は夜中の1時までかかって、月明かりに舞うダイアモンドダストの中、かじかんだ手で裏山で獲れた鹿の解体をした。
肉の鮮度保持のため急ぐ・・・。

頁岩のスクレイパーで心臓を取り出した時、50キロ程もある大きな雄鹿の体温を感じた。
皮を傷つけないで石器で皮を剥ぐ作業も集中力が要るが、肉がおしっこ臭くならないように膀胱を破らず、肛門を糸でくくって内臓を完全にこっとりと抜く作業はいつも緊張する、外科医と同じ作業である。ブラックジャックになりきって、鹿の魂が天の鹿たちの群魂に合流するよう引導するような気持ちでマタイ受難曲を聴かせながら仕事をする。

ロクロも鹿の解体も畑仕事も人生の何もかも熊楠マンダラのハブとして同格に思う。
冬、これほど寒いと麻服ではどうにもならず綿も絹も無い、鹿の毛皮は縄文人の貴重な衣服となったろう、猪では剛毛すぎて衣服には無理だろうし脂肪の乗った美味しい皮を食べることのほうが優先するだろう。

現在、日本中の山里で、中山間部切り捨て政策で過疎が進み、この集落も深刻な猪と鹿との食害に見舞われ、猟師の獣害駆除活動で、鹿がまるまる一頭手に入るという今までは有り得ない状況が生まれている。
奥物部の三嶺の鹿駆除が始まった2002年1月頃に高知県歴史民俗資料館で開催した「8000年前(縄文早期)の高知県刈谷我野遺跡 内外両面施文、厚3ミリの押し型文尖底土器復元展」(写真)の肝腎要の仮説、鹿の膀胱を砲弾型の木型にかぶせて粘土の型抜きを可能にした・・・という仮説(厚3ミリ、内外両面施文の尖底土器制作の場合)をなんと11年ぶりに立証する機会がめぐってきた。それだけではなく8000年前の集石炉と炉穴による鹿料理も可能になった。

昔はこのあたりではどの家も田で鋤を引かせる牛を一頭か二頭飼っていて、暮れにつぶして正月の餅代にしたという。
昔、腰の急角度に曲がった働き者の老女が生い茂った私の窯場の夏草を眺め「昔はこんなもったいないことはなかった。」とかぼそい声でつぶやいた。雑草が腰のあたりまで伸びても陶芸に熱中して草を刈らないズボラな私が「それ、どういう意味?」と怪訝そうな顔で訊くと、飼っている牛馬の餌にするために、道端の草までも朝暗いうちから皆が奪い合いで刈ったということだった。

今では行政による道路清掃事業になっている。いよいよ牛を食べようということになって、皆で、なんとか簡単につぶす手だてはないだろうかと話し合って、四万十川の沈下橋の真ん中まで引いて行き、皆でえいっと石だらけの河原へ牛を突き落としたものの、そもそも沈下橋は洪水の際、川に沈む為の低いもので、もくろんだように首の骨がポキンとおれて即死とはいかず、牛が怒ってしまい、大変なことになったという笑い話もある。
今では牛も豚も飼育農家が自分でつぶす権利は奪われて違法、四万十市の食肉センターでしかやってもらえない。
屠殺の体験は猟の獲物でしか出来ない。食うために生き物の命を「頂きます。」と感謝して自分で鹿や猪をつぶす体験は現代の日本社会では貴重な体験だと思う。ジャイナ教徒でもない私は食うために殺すということは避けて通らない。

ポールシフトによる急激な気候変動も言われているが、人類がマンモスを狩って食べてマンモスは絶滅したそうな、細石刃の槍で倒した後、巨大なマンモスを石器だけで解体するにはどうするのだろう、鹿の場合、足の骨付きもも肉も背身も数分で頁岩の5センチほどの石器さえあれば驚くほど簡単にはずせる。
背身は背骨の両側に細長く1本ずつで柔らかく、そのまま刺身やステーキで食べられるが、もも肉の場合、構成する大小十数本の筋肉のけん筋と膜を除くだけで包丁で3時間以上かかる、制作で忙しいのに足4本で2日つぶれる。
もも肉は集石炉で焼け石に包んで丸焼きにするのが正解だと思う。

日本の現在の養豚農家一戸(家族経営)あたりの平均飼育頭数はなんと1500頭程で、年々、飼育頭数は増加し、農家数は減少しているという。人口受精して6ヶ月で100キロ以上に肥育して出荷、食肉センターでつぶす時の1頭あたり畜産農家に入る出荷時価格はたったの2万円程とか、餌は主にアメリカからの輸入穀物に頼っている。

スーパーで豚肉が安いのは我々消費者には助かるが、餌代だけでなく、養豚農家は超過密飼育から、豚のストレス、大規模飼育ゆえどうしても爆発的になってしまう口蹄疫などの疫病を防ぐため薬剤やら大変な苦労を続けている。

鹿肉は野生なのでスーパーの豚肉と違い個体差と季節の餌による変化が当然大きいが、血抜きがきちんと出来ていれば臭いもなく赤身で美味しい。秋のシイの実を食べた鹿は本当にヘルシーなオーガニックの肉という感じがする。胃の内容物で何を食べているかも分かる、わたしの栽培したハチマキという貴重な在来種の大豆も食べていた。

話がどんどんそれたが、仮説の鹿の膀胱の話に戻る。実際は小学生たちと膀胱の代わりに透明ビニール袋をかぶせてセロテープで止め、たった20分での高さ25センチの押し型文尖底土器制作という型抜きを可能にしたのであるが、いよいよ11年ぶりに仮説の証明をしようと意気込んだ。
中の尿を出し、洗い、息を吹き込んで白い風船のようにふくらませ糸でくくって軒下の猪の胆のう(熊の胆のうと同じく胃腸薬)の隣に吊るした。鹿にはどういうわけか肝臓に胆のうが付いてない。
白いゴム風船のような膀胱は真冬の寒風に揺れ、乾燥するにつれもともと2ミリ程の厚さであったものが0.3ミリ程のトレーシングペーパーで出来たカサカサの紙風船のように薄くなり、ハンドクリームのニベアを塗って柔軟性を持たせると透明なビニール風船状になる。しかしサイズが直径10センチ程度しかない。これでは張り合わせるか、もっと大きな膀胱を捜すかということになる。
次には熊の膀胱を手に入れよう。

写真のベランダに掛けた鹿皮は自己流で鞣したもの、いずれ5300年前のアイスマンが履いていたブーツとネイティブアメリカンのモカシンを作ろうと思う。       
          2013年1月26日 雪

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