穴窯での本格的自然釉の陶芸家 武吉廣和の大壺展 閉じる
祝 高速道路開通  赤松30トン、10昼夜の焼成。
期間:2013年 4 7日(日)〜15日(月) 時間:AM 9:00〜PM 5:00
会場:ギャラリー 龍窯
   〒786-0097 高知県高岡郡四万十町日野地326
  <ギャラリー龍窯 地図>
   Tel&Fax/0880-23-0054
   作家携帯/090-4506-0572
   ● 四万十町中央ICより 車で25分、松葉川温泉 手前1kmに看板あり。
アイスマンのブーツ

春になった、今年は梅も桃もボケも桜もツツジもいつもの順番は無く一斉に咲いた。
家族でお花見がてら四万十川の渓流を遡行して散策する。
「水の王」の名前が生まれた水の精霊の棲む清冽な淵に、持てるかぎりの大きな石を力いっぱい投げ込む。
長男が撮影した写真がこれ。

先日、NHKで「アイスマン」の初解凍での科学的解明の放映を見た。
私は、昨年末から、鹿皮の鞣し技術が不明なことが発端で、ちょうど鹿革のモカシンかアイスマンのブーツを制作するための資料集めをしている。アイスマンの履いていたブーツは底が熊革で甲が鹿革という特定結果だった。
そもそも鹿革はアイヌの女性が下着を作って着ていたというくらい薄く柔らかなもの、日本では古代から蹴鞠や、足袋、手袋に使うが、我々はロクロ挽きの最後に口辺を整える抑え革として使う、人間の革にもっとも近いといわれる。
バッファローを狩るアメリカ先住民が鹿革で作るモカシンは同じ鹿でもアメリカのエルクのような巨大鹿の革で、はるかに小さな蝦夷鹿や日本鹿よりも分厚いのだろう・・・と、いろいろ考えさせられた。

今から5300年前のアルプスで生きた46歳の男が、小麦のパンとハーブやレタス、果物、チーズ、アイベックスと鹿やウサギの肉を食べ、純度99,7パーセントの純銅の斧を持ち、髪の毛から高純度のヒ素が見られたことから銅の精錬にかかわっていたとみられている。現代の羊飼いと同じ、おしゃれな、ヤギ、羊、牛の革を縫い合わせた外套に身を包んでいた。
そしてこれこそ重要なことだが、身体の腰痛治療の鍼灸の経絡と重なるツボに入れ墨が施されていたということ。
だいたい5300年前というと、シュメールでは最初の都市ウルが生まれたギルガメッシュ王の頃が5000年前頃と言われている、インドではハラッパーの都市遺跡が5300年前、都市計画があり下水道完備で核戦争で滅んだという一説のあるモヘンジョダロが4500年前、エジプトでは初期王朝のナルメル王が5100年前、中国では夏王朝が誕生するのが4000年前、南米でも最古のカラル・シクラス遺跡(ペルー)が4800年前、と比較すると分かるけれど、神が治めていたとされる時代である。
その後、神が人間の王を代理として治める時代がくる、そして現代は人間が人間を治める時代なのかもしれない。民が民に向かって立ち上がる時代かもしれない。

発見された状況が極めて幸運で、諸分野の科学的研究の国際的連携の基盤がある1991年に発見されたからいいようなものの、40年前ならオーパーツとして扱われ、優秀な勇気ある研究者達の論文は無視されるか嘲笑の的にされ、学者生命を断たれたことだろう。
5300年前のアイスマンの解凍研究成果発表は私にとっても、死海文書同様、ものすごいショックだった。
日本の青森県の山内丸山遺跡(縄文前期)が5000年前で巨大なロングハウス(平面で32メートル×10メートル)と直径1メートルの栗の直材6本を柱に使って建設した高楼(現代の一尺30センチ 1フィート30.48センチに近い35センチというモデュール有り)に仰天したショックにも等しい。

アイスマンが見つかったアルプスのエッソ渓谷(標高3200メートル)の緯度は日本では北海道に相当する、青森の山内丸山遺跡は結構近いといえるだろう。たとえば、日本の縄文海進(縄文前期)という温暖化のピークは6000年前で今より3メートルから6メートルも海面は高かった。ヨーロッパでも同じで、アイスマンはアルプスが温暖化のピークを過ぎて、大西洋循環が停止、突然急激な寒冷化が襲うという「その時」に殺されている。
そして殺された直後に雪に埋もれ、腐敗することもオオカミに喰われることも免れ、続く寒冷化のなかで氷河に閉じ込められた。

以来、5300年ぶりの、シベリアの永久凍土さえ溶けてマンモスが出て来るという、この数十年の記録的地球温暖化でアルプス氷河も解けて姿を現した。
地球の気温は太陽活動に支配され、今現在、地球温暖化と言われているが、実際は太陽の磁場が四重極構造になりつつあり、四重極構造になると黒点が異常に減少し、太陽活動が衰減し地球寒冷化につながるという説(桜井邦朋・神奈川大学名誉教授・太陽物理学の権威)がある。つまり数千年単位での気温変動のなか、奇跡としか言い得ない状況でアイスマンは冷凍保存、そして発見されている。

毎晩、ベランダで鹿肉かイノシシ肉を台湾楓の薪の直火で焼いてタタキにして焼き肉のタレも塩も付けずに食べている、アイスマンより原始的。豆は煮るだけでほんとうの味を確認している。
ホテル松葉川温泉から貰ったフウと呼ばれる台湾楓は品格のある香りを発し、赤松と対極の燃え方をする、即ち、赤松は火足が長く、燠が切れるが、フウは、火足が短く、煤と煙が出ず、木炭のように赤い燠になり木炭のように長時間持つ。
マウンテンオイスターと言われるイノシシの睾丸も、鹿の肺も肝臓も心臓も、縄文人に成りきってなにもかも食べている。焼いた骨付き肉をナイフでこさげて食べたあとの背骨や肋骨は焚き火にくべると薪のように燃える。
骨灰は粉にしてオーガニックの畑に入れる。

「我々は何処から来て何処にいくのか」というゴーギャンの絵がある、彼は、タヒチで先住民の文化に接して、「ヨーロッパ文明」というものを疑ってしまった、そして甘美な絵に問いを託して失意のうちに亡くなったと思っていたが、年とった今では、彼は自分が到達したONENESSの世界を絵にしていたと思うようになっている。
ピカソもやりつくしてアフリカ先住民の精神世界に深く入った。ユングも心理学の分野でやはり同様な軌跡をとったと思う。
ヨーロッパ近代物質科学文明から先住民の文化を通して古代原点の精神世界にUターンするその遡行の果てが、ぐるっと地球をひとまわりして、王制以前の、神政の頃のヨーロッパのアイスマンという「現物」に出会うわけで・・・この衝撃は大きい。
神智学のクリシュナ・ムルティやシュタイナーの人智学で、今回のアイスマンの謎も体系的に難無く解けると思う。

今後、続々と発表される各分野の新発見の事実は「証明」を重ねていくことだろう。
われわれ高知県民の足許を見ても、高知県香美市、8000年前の縄文早期狩谷我野遺跡の内外両面押型文尖底土器(厚4ミリ)を焼いた人物も、3500年前の縄文後期の高知県本山町の松ノ木遺跡から出土した松ノ木式深鉢を焼いた人物も、アイスマンと同じぐらい高い文化レベルだと思う。そうそう居ない。

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