西暦2013年 本格的自然釉 武吉廣和 新作展 玄のシリーズ
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 道の道とすべきは、常の道にあらず。
 名の名とすべきは、常の名にあらず。
 無名は天地の始めなり。
 有名は万物の母なり。
 故に常無以て其の妙を観んと欲し、
 常有以て其の徼(きょう)を観んと欲す。
 この両有は、同出にして名を異にす。
 同じくこれを玄と謂う。
 玄の又玄は、衆妙の門なり。

 老子の「無名」も「玄」も自由無礙なる生命活動の現れを言ったもの。
 要するに私は「神」だと思う。
 「玄のシリーズ」とは分かりやすく言うと「神の黒い壷シリーズ」。

祝 高速道路開通  赤松30トン、10昼夜の焼成。

期間:2013年 8 6日(火)〜11日(日) 時間:AM 10:00〜PM 6:30
会場:かるぽーと 高知市文化プラザ 7階 市民ギャラリー 第5展示室
   〒780-8529 高知市九反田2番1号 TEL:088-883-5011(代)
  <かるぽーと 地図>
   作家電話/0880-23-0054
   作家携帯/090-4506-0572
   
● はりまや橋から東へ400m

新作展 玄のシリーズ

5月の連休の窯焚きから、はや三ヶ月経った。
夏草に埋もれた窯場で、ひぐらしが鳴くなか、春に生えた若竹の竹やぶをイノシシの巣にならないように一本一本根元からノコギリで伐りながら、割山椒の向付等にサンドペーパー掛けをしながら、蹲壷展を開催しつつ、とれた全作品との対峙が続く。

おかしなことだと思われるだろうが、窯出しを終えた壷それぞれの顔は毎日変わる。 だんだん霧が晴れるように観えてくる。
壷の未来まで見届ける。
私にとって「観る」ということは「考える」ことと同じで、「考える」の語源の「神に帰る」ことと思っている。すこしずつ自分の粗末な脳の回路がつながってゆくように感じる。

2008年の窯は、見極めるのに3年かかった。その3年間は先きに進めない、次の焼成方針が決定出来ないのだ。
いろいろな場所でひたすら個展を続けて、「場」を変え、「照明」を変え、自分の壷を観続けた。
わたしの次の壷が見えてこない。凪ぎで鏡のような水面に静止した帆船、あるいは、ぶ厚い雲に覆われ、太陽も月も星も見えない大海原のように思えた。
2001年に自然釉の体系的完成をみて、法則どうり焚いているのだから失敗しているはずがない、成功のサインは全プロセスで出たのに、どの域まで登っているのか分からない。
もはや室町時代の古信楽のような野放図な焼き方はしていないので古陶にも比較対照の手がかりが無い。
自分の現在位置を、自分で推定し、仮説を立てて、その危うい仮説を足場として踏み固め、自分の眼を信じて、さらにそこから先きへ先きへと進むしかない。

若い時は自然釉の体系的完成への一番乗りをしようとあわてふためき、やみくもに作って全部窯詰めして、酸化炎焼成、中性炎焼成、還元炎焼成、酸化冷却、炭化冷却、炭化酸化冷却、等々の果てしない順列組み合わせでひたすら焼いた。
気にいらない作品は全部割った。
30年以上経った今では、作って一週間ほどして作品が白く乾燥した状態で、もう、とれるかとれないかが分かってしまうので粘土に戻す、さらに1年ほど経つともっと冷めた眼で観れるのでまた粘土に戻す。こうして制作は遅々としてはかどらず、なんと5年1ヶ月ぶりの窯焚きと相成った次第。

若いときにこんな眼が備われば、理想と現実のあまりの乖離に悲観して自殺してしまったことだろう。
運、根、鈍というが鈍こそが大成の必須条件だと思う。

34歳のとき、日本陶磁協会理事だった小松正衞氏(当時文芸春秋社相談役)が西武本店での個展の評論を「陶説」に書いて下さった。その後、はるばる四万十川の窯場のバラックまで来てくださり、後で個人的にわざわざ手紙を下さった。
私を「妥協できない性格」とし、「やはり野に置けスミレ草」と結んであった。
私は百戦錬磨の軍師、諸葛孔明からの手紙として重く受け止め、以後、妥協せず、衝突を続け、スミレ草というより槐の木(えんじゅのき、成長は遅いがロクロになる堅い木、日本では巨木はほぼ絶滅)になるつもりで、そのとうり野に生きた。

私自身、ギャラリストである、あるいはキュレーターである・・・という設定で人生を楽しんでいる。
自分のギャラリー龍窯で企画する自然釉の作家を捜しているが、妥協せず、ほんものの自然釉に挑戦している作家には、なかなか出会えない。我遅れじと、あらかじめ灰を盛ったり、呼び薬を掛けたり、バーナー併用だったり、ロストルがあったり、高い煙突があったりする。少しでも仕事の構造が変わると自然釉という奥深い仕事のありようはがらっと変わる。何も知らない一般大衆向けの経済効率は良くなるかもしれないが、その代償は計り知れない。
喰う為の仕事と、仕事を育てる仕事は違う。 なにより、自然釉の妖精は寄り付かない。

岡倉天心の居るボストン美術館の東洋館で個展をするとして、今回の窯出しした作品だけで「新作 玄のシリーズ」として実現出来るだろうか・・・というのが今回のかるぽーと展のキュレーター、武吉廣和のテーマ。
モチベーションだけは相変わらず突出してしまう

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