武吉廣和の自然釉壺展 |
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祝 高速道路開通 穴窯で赤松30トン、10昼夜の焼成。 | |
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期間:2014年 2月 1日(土)〜2月 26日(水) 時間:AM 9:00〜PM 5:00 *木曜定休 |
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梅も咲き始め,ウグイスの初音を聞きつつ薪割りをしている。 松は四万十川の支流、黒尊渓谷の北方の標高の高い国有林で育ったもの、直径20センチの細さでも50年は経っていて、風当たりが強かったのかねじれ、斧が跳ね返るほど強靭。 一回一回、命懸けで御神事として窯を焚いているので、深山の原生林に育った神々しい松ほど嬉しい。 中には梁に出来るような太さの松も何本かある。土と松にはお金を惜しまない。 還元焼成するために欠かせない油脂と自然釉を構成する灰が多い。 燃焼中に、この松の薪の灰が飛んで、黄ノ瀬土と反応して美しい自然釉となる。 ![]() |
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マンモスの骨で焚き火をする | |
昨年暮れに「世界不思議発見」というテレビ番組を家族と見ていて、トルコの1万1600年前のギョベックリ・テベ遺跡には驚いた、氷河時代の、世界最古の神殿遺跡である。 フランスのマリー・アントワネットの時代になっても、パリの住人は二階の窓から汚物を下水道代わりの道路に撒くので、貴族はハイヒールの靴を履き、帽子を必ず被っていた。 |
9000年前から7300年前の縄文早期に押型文内外施文尖底土器を作り、 高知県の物部川、刈谷我野に定住していた縄文人たちと、 南太平洋ラピタ式土器の物語 |
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●刈谷我野遺跡 中国、江西省の洞窟遺跡で氷河期の2万年前の土器片が発見されている。新発見で時代はどんどん遡る。 高知県の香美市、物部川、河岸段丘上、刈谷我野遺跡は陶芸家の眼で見たとき、本当に面白い。 2003年の発掘現場、刈谷我野遺跡の尖底土器片は7300年前のアカホヤ火山灰に埋まっていた。9000年前から7300年前の砲弾型の尖底土器の「厚4ミリ、内外両面押型文」というデザインのレベルの高さには本当に驚いた。 厚4ミリという柔らかい粘土の状態の砲弾型の土器の内外両面に、不安定定な器をささえつつ、原体をころがしての刻印ということが可能なのか・・・である。 8000年前の日本とトルコはどうなのか、世界遺産・チャタルホイック遺跡がある、壁と天井が漆喰で塗られ赤色顔料でデザイン模様が施された住居群である。 また7500年前、シリアとトルコの国境、テル・ハラフから発見された、制作者である陶工印の施されたハラフ式彩文土器がある。ハラフ式彩文土器は野焼きではなく、燃焼室と焼成室とが分離した「窯」で焼かれている。 同じ縄文早期の尖底土器でもピンからキリまであって、燃焼室と焼成室とが分離している窯がなければ絶対焼けないと思われる、火山灰質ではないカオリン質粘土の、巨大な尖底土器も鳥取県の遺跡から出土している。 4500年以前のモヘンジョダロの都市計画の鍵となるのは統一基準の膨大な量の煉瓦を焼く「煉瓦という窯業の技術体系」である、建築も土器も文化のバロメーターになる。 このような古代で、きっちり焼かれた煉瓦の寸法が壮大な都市計画のモデュールとなっていることは有り得ないこと、この煉瓦窯も当然燃焼室と焼成室を持っている。2200年前、秦の始皇帝の兵馬俑の馬を焼いた窯の技術体系も極めて高度である、想像がつかない。古代の高度な焼成レベルには畏怖さえも感じてしまう。 16000年前の氷河時代から始まる縄文草創期から縄文早期まで8000年間程続いた日本のこの尖底土器文化が終焉する原因となったアカホヤ火山灰をもたらしたのは、九州の南方約100キロにある海底火山、鬼界カルデラである。現在の鬼界島や竹島は、海底火山が水蒸気爆発で吹き飛んだ跡の巨大な鬼界カルデラという海底外輪山の、わずか海上に出た頂上部分である。 ●縄文土器はなぜ野焼きできるか こうして陶芸家になってみると、不思議なことに気付く、縄文人は窯無しでも焼けたのである。 我々陶芸家は、富本憲吉も言ったように「窯無き陶工は翼無き鳥に等しい。」のである、つまり窯なしでは何も出来ない。 縄文人のほうが私より優れているということは明白である。なんで焚き火で土器が焼けるのか・・・である。 理論的にみてみよう、焼成中の加熱による土器の胎土に水が無く、かつ、膨張と収縮というものが全くなければストレスというものが発生せず、したがって、割れない。そして一番恐ろしいのは火山と同じ水蒸気爆発で、土器も陶器も胎土中の含有水が100度で水から一気に水蒸気になる過程で爆弾のようにボンと爆発してしまう。 高知県の縄文土器の胎土分析をしての、弟、武吉真裕の仮説だが、約23000年前の鹿児島の錦江湾で起った火山水蒸気巨大爆発で高知県に大量に積もったAT火山灰が泥流になり溜まり、1万数千年を経て風化、チョコレート色の火山灰質粘土に熟成する、その粘土で高知県の縄文土器は焼かれているという仮説。 そもそも火山灰は灰ではなく、ドロドロに融けた地底のマグマが火山噴火の際に地底の圧力から解放されてシャボン玉のようになってはじけた薄片状のガラスである。粘土含有水も水蒸気も砂の中を水が抜けるように、その特殊なガラス質粘土粒子のあいだを楽々と通過するので100度でも水蒸気爆発する原因が無い。 なおかつ、火山で一度焼かれているので本来粘土粒子に存在する結晶水が無い、焼き煉瓦を砕いたシャモットのようなもので出来た粘土ということになる。つまり100度前後で含有水も水蒸気もスッと抜け、普通の陶土で100度から土器の焼成温度800度までの膨張収縮というストレスの原因となる粘土結晶水と石英は粘土になる以前から無いのである。 土器の片側が加熱されて膨張、反対側が冷たくてそのままだとストレスの力が生まれ、引き裂かれ、ひび割れが生ずる。 分かりやすいように極端な言い方をすると、どんなに焼いても膨張収縮せず、水蒸気が楽々と抜ける粘土が縄文土器の胎土である。 アカホヤ火山灰からは想像できないほど大規模に23000年前の氷河時代に降り積もったAT火山灰は、岩石ばかりが残る急峻な山岳地帯から雨で谷川や河川に洗い流され、川から海に放流され、地上と同じように海流で海底の特定の場所に溜まる。 高知平野のように標高5メートル以下の低い平野では6000年前頃の温暖化による縄文海進と呼ばれる海面上昇でAT火山灰とその上層のアカホヤ火山灰層は波に削られ洗い流されるが、土佐山田や窪川盆地や本山盆地には地形上、今でも溜ったまま残っている。そしてこの火山灰が、3000年前頃から始まる弥生時代の稲作と、米を煮炊きする土器作りを可能にしたとも言える。 2000年当初、高知県ではAT火山灰は検出調査例が稀で、地元、窪川で見つかる神ノ西式弥生土器の胎土としてオレンジ色の鬼界カルデラのアカホヤ火山灰質粘土を想定したが、粘土にまで熟成していず、その下のチョコレート色のAT火山灰質粘土と神ノ西式弥生土器の胎土とが目視で同定出来た、砂礫がぎしっと詰まる腰の強い粘土は珍しい。 アカホヤ火山灰が粘土に熟成した姿は見たことがない、火山灰というものは何万年経っても同じ場所に溜まるように思う。 氷河時代の23000年前の鹿児島、錦江湾の火山噴火によるAT火山灰が縄文土器、弥生土器の粘土の母である。1300度で焼き締まり強度が生まれる陶磁器と異なり、800度で焼く土器の乾燥強度と焼成後強度は体験上ほぼ同じなので、強度と収縮率における適性は、掘る前に、乾いた粘土のひび割れ状態(収縮が少ないとひび割れが無い)と破壊強度で簡単に分かる。 ここでは分かりやすいように極論を書いたが、いくら酸性で風化しやすいといってもガラス薄片が簡単に腰の強い粘土になるはずもなく、縄文土器の胎土の粘土の実際は、本当に複雑怪奇で面白い、そもそも土も火も面白いのでついつい深入りしてゆく。 陶芸家の領域の白いカオリンに砂を混ぜ膨張収縮を防ぐ方式の手ごわい縄文土器にも高知県内で出会っている。 工事現場で土器に使えそうな粘土を見つけると最寄りの海岸あるいは河原に行き、直径10センチ程、厚さ4ミリほどのクレープ状にして丸い石に石で打ち付けて杯を作り、乾燥を待たずに、そこらの流木を拾って焼く。現場で冷まして手に取るまで30分以内。出来るだけ過酷な焼成テストをする、合格であれば工事現場に戻り詳細に観察、地質図に遺跡とともにプロットしてゆく、こうした基礎研究を続けると10年単位で何かが見えてくる。 こんな小物で破裂するようなら煮炊きする大物はとうてい無理。 酒を呑んで土の品格が良く、臭いがなければ(稀に臭いのがある)、そして、手で割ってみて土器の平均的破壊強度に達していれば合格である。そして実際に煮炊きに使用しての耐久テスト、胎土間の耐久レースが始まる。 ![]() ●彼等のその後 数ミリの破片から復元して、これほどの高度な内外両面押型文(厚4ミリ)というデザインの尖底土器を作って刈谷我野に定住していた縄文人は誰で、その後どうなったのだろうと考えた。 |