ギャラリー龍窯 開廊10周年展 < 春爛漫を活ける。>
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祝 高速道路開通  穴窯で赤松30トン、10昼夜の焼成。

期間:2014年 4 4日(金)〜4 16日(水) 時間:AM 9:00〜PM 5:00 *木曜定休
会場:ギャラリー 龍窯
   〒786-0097 高知県高岡郡四万十町日野地326
  <ギャラリー龍窯 地図>
   Tel&Fax/0880-23-0054
   作家携帯/090-4506-0572
   ● 龍馬空港からギャラリー龍窯まで 車で1時間半。
     四万十町中央ICより 車で25分、松葉川温泉 手前1kmに看板あり。

 
桜の季節

梅が散る頃、最初の10トンの赤松の薪割りを終えた、これから六ヶ月、乾燥させる、そして桜の開花とともに、次の10トンの赤松の薪割りにとりかかる。いずれも厳冬期に伐った赤松。

薪割りの合間に、スコップとツルハシで1.5メートル×2.5メートル深さ1.8メートルの穴堀りをした。
3.11後に出版された「危険な地名」という本の中に「日野地とは地滑りの土地、代表例、高知県高岡郡四万十町日野地」と記載されているではないか、ビックリ仰天である。
さっそく四万十町役場の土木課にとんでいって、我が集落での深層崩壊の地質ボーリング調査の有無を問うたが、予期したとうり、土石流による危険箇所しか調査はしていないという。
しかし、こういう古代からの「言霊的伝承事項」は、知った以上、看過出来ない。
23年前に井戸をボーリングで36メートル掘った際の地質記録図が唯一の手がかり、毎日毎日、薪割りと穴堀りをして、この土地の履歴を視る作業と相成った次第。これで判断するしかなかろう。
10トンの残土は町道になったばかりの参道?を車が方向転換出来るように拡張工事に使った。

梯子で底に降りて、掘ったばかりの粘土で焼いた土器で酒を飲んだ、地滑り層には土圧で揉まれて粘土が生まれる。
お花見の時なのに、ひとり穴に入って土の壁ばかり眺めての酒である。
日が暮れたので寝袋で寝た、頭上に四角い星空が見える。
縄文時代の縦穴式住居にしては深いし、植物で頭上を塞げば寒さよけにはなるので北極イヌイットのイグルーに近いか。
しばらく続けた穴居生活の感想を表現するなら「桜の花の下に掘った、西行のダブルの墓穴」というところか。
野外で寝ると野生がよみがえる。
静寂の中、地上の狸や鹿やイノシシの遠い足音に耳をそばだて、水成岩で構成される四万十帯の精霊の夢をみた。

宇宙人と地球人類との関係について

モーゼと同じ時代、ギリシャのミネア文明と同じ時代、殷の3500年前のオーパーツとしての龍窯という仮説を立て、その性能の研究に37年間、明け暮れている。
5000年以上前の古代インダス文明のモヘンジョダロ遺跡の都市計画のモデュールとなる統一規格の煉瓦焼成窯や、7500年前の陶芸家のサイン入りハラフ式彩文土器等々の考古学的事実を鑑みるに、地球上には、進化は進化であるけれど、複数の次元が同時並行して存在しているとしか言いようがない。
その現象に宇宙人の存在を設定してみると少しは謎が解けそうな気がする。
言わば、神様に、「永遠に死なない宇宙創造の神様」と、人間よりも遥かに寿命が長いものの、「異次元の高度な文明を持った死ぬ神様=宇宙人」と、神界、霊界の、人間だった存在・・・の多種類の神様が居るということかもしれない。

ある姿の雲が複数、常に頭上に在って、私と家族を乗せた車が走る高速道路上の何十キロもの距離をついてきたことがある。
明らかにUFOの、雲を纏ったものと分かっていて、その意味する内容も分かっているのにこれを受け入れるに生理的乖離が生ずる。言葉での腑に落ちる表現がなかなか無い。
第二次大戦中、アメリカに亡命したアインシュタインはドイツに出し抜かれないように、トルーマン大統領に原爆の製造を進言、オッペンハイマー博士がマンハッタン計画を完遂する。
1945年、長崎、広島に原爆投下、1947年のロズウェルUFO墜落事件後、アインシュタインはトルーマン大統領の特別顧問になる、1952年のホワイトハウス上空UFO乱舞事件でトルーマン大統領にアインシュタインが答えた言葉「攻撃しても無駄だ。科学力が違い過ぎる・・・。」

あるとき古書店で目に止まった2冊の本を購入した。一冊は佐藤愛子氏の「私の遺言」。もう一冊は「神誥記(しんこうき)」(今日の話題社)で、著者はひふみともこさんでまだ若い。
「私の遺言」は、地球に輪廻転生し、卒業を迎えた(と私には思える)一つの魂の「浄霊」の体験記、美輪明宏さんも、若き日からの江原啓之さんも登場する。
偶然、立ち読みをしていて、この二冊が相補うかたちで、何か腑に落ちるものを感じたので購入した。
勝手に「神誥記」から一部を抜粋、掲載させて頂く。


宇宙人と地球人についてお教えください
さても下らぬ、詰まらぬ問いなり。さなる違いは明白ならずや。神と人との違いも明らか。
宇宙人とはあの世に生きて、地球を見守る者を言うなり。なれば神ともいうなれど、宇宙にあるも一つの比喩なり。
この世と次元の異なれば、地球を覆う宇宙なれども、地球と近き星とも言うなり。
なれど、宇宙に、空に輝く、目に見ゆ星にはあらざれば、人の考え想像にある、宇宙人とは異なるを知れ。
宇宙人とは神にあらねば、神と異なり、神に仕えて、神の働き代わりて行う、次元の高き霊体なり。
なれどこの世に送られて、地球の乱れを正すため、神に使われ、仕えるもあり。
神の命令、法則に沿い、神のことばを素直に顕し、自ら励みて、神と人とを結ぶみ役もその一つなり。
なれば多くの宇宙人たち、人と変わらぬ姿なれども、魂見れば、すぐにも分からん。
神には明らか、明白なれば、神も通信送りて伝えん。

宇宙人も魂を持っているのですか
さなり。なれども人と異なるは、元の魂、始めの魂。
もともと宇宙の作られしとき、始めに神の作りたれば、今の人よりさらにも古く、最も始めに作られし魂。
今の人類新しく、神の最後に作りし魂なり。なれば導く神々たちも、人に任せて、見守りおるなり。


上の記述を念頭に置いて、例えば、アダムスキーの「空飛ぶ円盤搭乗記」に出てくる金星人が「最も始めに作られし魂」として、アダムスキーが、昔々、金星から地球人として転生してきた「古い魂」であったとして、かつ、UFOに搭乗するシーンで地球肉体人間から魂の次元が元の金星の次元へと変わったとすれば、「空飛ぶ円盤搭乗記」がすんなり読める。
簡単に作れ、あらゆる病気を直す小さなツールを与えられるが、職を失うことを怖れた製薬業界と医師会が握り潰す・・・。

今までオーパーツのひとつとされてきたアンティキティラ島の機械も宇宙人から与えられたツールかもしれない。
ギリシャのブロンズや大理石の彫刻とともに、海中から錆び付いた状態で発見され、金属の大小の歯車を複雑に組み合わせた「アンティキティラ島の機械」と呼ばれる天体コンピューターが、ギリシャ文字から実はアルキメデスの作ったものだったというテレビ番組を視た。それが本当ならアルキメデスが作ってから舟と一緒に沈むまで150年間もの間、誰かが持っていた、あるいは天体観測に使用していたことになる。
これで表面的には一応オーパーツではなくなったことにはなるけれど、前3世紀のアルキメデス個人のヒラメキで太陽系惑星儀まで作れるのか・・・という、さらなる謎が生まれる。
アルキメデスより300年昔のピタゴラス以前でも以後でも太陽系諸惑星公転モデルの発想など記録が無い。
歯車製の置時計が生まれるのが西暦1575年で、地動説を唱え宗教裁判にかけられ、「それでも地球は動いている。」と言ったガリレオが没したのが1642年だから・・・。

こういうふうにアルキメデス一人の突出となると、話は飛躍するが、旧約聖書のモーゼ書に出てくる、短く簡素に記録された「神がモーゼに指示してアークを制作させるシーン」が頭の中に甦る。
モーゼ書が残っていなければアークは作者不明の伝説の兵器=オーパーツとなっただろう。
一対の黄金のケルビムのついたアークの中に納められた「十戒が刻まれた石板」が「天体コンピュータと同様の異次元の神秘の機械」なのかもしれない。
世界中の事象と同じく、ギリシャにもエジプト時代のモーゼに降りた神示と同じような「デルフィの神託」のようなものがある。ピタゴラスもエジプトまで出かけて行って、エジプトの神官から異邦人としては異例な秘儀を学んでいるし、アルキメデスも学んだとされるアレクサンドリアの大図書館の紀元前47年の炎上が古代エジプト文明以前の記録喪失のリセットボタンだったことは否めない。エジプトの神官によりパピルスに記された高度な文明の記録が、カエサルの引き起こした戦争で燃えてしまった。

今、もし、核戦争というリセットボタンが押されればどのようなことになるだろうか。
核兵器、原発はもちろん、DNA解読も臓器移植もクローン技術も遺伝子組み換え技術もパソコンもスマホも・・・いままで神の領域と言われてきたそのすべてが、その記憶すら無くなるだろう。
これらは「ホワイトハウス上空UFOの乱舞デモ」以降の、この数十年の産物である。
資本主義も共産主義もほころび、地球人類の倫理と経済と政治のシステムがテクノロジーの爆発的進化についていけてない。
政党もシャッターの閉まった商店街と同じだなとか・・・思っていると、穴の中に桜吹雪が舞い入こんできた。
四角い青空にトンビが舞っている。
気分転換に穴を出て,筍を掘って、三尺ささげの豆を植えよう。

ギャラリー龍窯 開廊10周年展に寄せて めぐり来る春

わたしは40歳で結婚するまで蹴ロクロの上で夏用の寝袋にくるまって陶土まみれのまま寝ていた。
夜半に目覚めた時、山ごしに、銀河と輝く星座を眺めて呵々大笑したものだ。

とにかく数千年の俯瞰意識で、陶芸のなかでも一番難しい自然釉を徹底的に極めることの出来る今生に腹の底から嬉しさがこみあげてくる。
こういう脳内のドーパミンの洪水はだれにも理解されないだろう。
複数のシャーマンから「あなたは他の作家を見て負けるとは思はないだろう。 それは輪廻転生のたびに陶芸をやってきて、そのたびに陶芸の頭領だったことに由来する。」と、そんな内容のことを告げられたことがある。
かなり偏った輪廻転生といえるだろう。
数千年の時を縫って生まれ変わり死に変わりをして、高度経済成長期の日本を選んで生まれ来て2001年の精神文明の始まりと期を一にして自然釉の体系的完成期に入るということは、なかなか実現し難いタイミングだと思う。
この幸運を、神と、支えてくれた人々に、感謝する。

家を建てる時、玄関を将来のギャラリーとして設計、玄関の正面に梅のちいさな苗木を一本植えた。
そして14年後の2004年に開廊を記念して目薬の木の苗木を、その少し大きく育った梅の木のそばに植えた。
陶芸家は灼熱の窯内を視るので白内障になりやすい。
もっとも私の場合、普通の稼業とはことなる業態で「どこまで高く自然釉という山を登ることができるのか」という寡作を貫いてのことなので、眼を痛めるほどにはならなかった。


春には梅の花、クリスマスローズ、水仙、桜、レンギョウ、コデマリ等々を活けて楽しむ。
ほんとうに地球上の愉悦というものを感ずる。

移 住

今年に入って「移住」をテーマに想いをつらつら書いている。
ニュージーランドに移住した日本人はこの一年で2000人とか。
ブラジルで陶芸教室を開いている日本人、戦国時代にフランスに渡ったかもしれない穴窯陶工、アカホヤ火山灰に追われて南洋を目指したかもしれない7300年前の香美市狩谷我野の縄文人・・・と、妄想の類いを書いている。
日々、春の訪れを感じながら息子達と薪を割る、梅の香りと松の香りが気持ちいい。
今朝は3センチの積雪で対岸の山々の木々に雪が輝き、銀糸で刺繍された山々のようにに眺められた。

拙宅玄関のギャラリー龍窯も2004年に開廊したのでもう10年になる、九条の会の緊急アピールが週刊サンデー?に掲載されたのが2004年、あれから10年で日本は九条の会の警告どうりに推移している、戦争体験者はやはりすごいと思う。
私の父もニューギニア戦線からの数少ない帰還者,右耳の鼓膜は破れ、体に爆弾の金属片がいくつか入ったまま、マラリアを克服して元気に働き、「わしは戦争で生死は越えた」との日常どうり77歳で「温顔での尊厳死」を果たした。
移行の際の80キロの距離を越え、窯開け真っ最中の窯場に届いた「父の声」は「私のことはいいから仕事を続けなさい。」と言うメッセージ、妻と二人、鮮明に聞いた。
そういえば彼は元通信隊所属だった。晩年は高知県の技術者協会の理事をしていた。
私は彼から戦争というものの悲惨な実態と馬鹿馬鹿しさを聞いて育った。
2004年当時、九条の会の緊急メッセージに対して「まさかそんなことにはならんろう!」と能天気に笑った人は今どんな思いでいるだろう。

ギャラリーはそもそも情報のハブであると思っているので、陶芸に関係なく、四万十川上流という僻地ゆえに、いろいろ毛色の変わった人がやってくる。ただの四万十川観光ではなく、はっきりした移住目的のために各地を下見して回っている人も来る。
以前は、事業に成功して、老後は自然の中に山荘を建てて、家庭菜園でもして趣味に没頭、のんびり暮らしたいという人が訪ねて来たが,3.11以降は若い人が来る。
IT関係とか作家とか、個の確立の出来た人が多い。関東に家族を残して南へ南へと候補地を巡って旅をしている。

奇客との雑談

地球上のあらゆる物質を溶かしてしまう物体を作ってしまったのにそれを保管しておく容器が無い・・・メルトスルーした元燃料棒の超高温の融けた固まりがどれだけのスピードで地層を溶かし続けながら地球の中心にむかっているのだろうとか、地下水脈と出会って水蒸気爆発をするのでは・・・とか、福島原発周辺は放射能で、誰も立ち入れない沼地のようになるとか・・・。
世界的超能力者集団による地下の霊視特集を制作するとか話しているが、これからどうなるのか・・・誰にも分からない。

そもそも身のまわりにある土や石の比重はせいぜい2から3程度だろうか、鉄やマンガンを含んでいるので、私の窯の中でもせいぜい1300℃程にまで加熱すれば、だいたいがハンバーグかトロトロの液体状になる、これがマグマである、それに植物灰を加えれば融点はさらに下がり、調合を工夫すれば美しいガラスになり市販の長石や弁柄などの原料を購入せずとも面白い天然の釉薬ができる。窯焚きのたびに、いろいろ面白い基礎研究は続けている。
鉄やマンガンといった不純物を含まない長石質、アルミナ質やシリカ質の白色カオリンという陶土は特殊な存在、それでも1700℃程で窯の耐火煉瓦でさえ融けるだろう。
プレートが海水を巻き込んで日本列島の福島県沖に沈み込み、高圧、高温で融けたマグマが1000℃前後、比重2.5以下と軽いため浮力で地上まで浮いてきたのが福島県の磐梯山等の活火山である。

メルトスルーのスピード測定法

我々の身のまわりで一般的な金属である鉄の比重は6.98で融点は1538℃である。
ウランの比重は19.1(金の比重は19.8)融点は1132℃である。.私の穴窯の火前ではゼーゲル錐の12番(1350℃)が赤松の灰と反応して完全に液体になる、つまり1350度周辺ではたった10昼夜以内の加熱で赤土や縄文土器や須恵器の弱い陶土は液体になるようなことが日常である。

たとえば原子炉格納容器が、地上最高融点のタングステン(融点3422℃)に次ぐ高価なタンタル(比重16.65と重いレアメタルで装甲貫通弾に最適だが、安価な劣化ウラン弾を対戦車に使用)で出来ていたとすると融点は3027℃で、論理の飛躍をあえてして、単純に考えて、福島第一原発原子炉格納容器の底がタンタルの金属板で出来ていたとして、それを溶融し、メルトスルーしたとすると、メルトスルーし、地下に融け出た高温の炉心融解塊の温度は3000℃以上ということになる。
そして、その核分裂反応が強制停止後、原子崩壊という超発熱暴走を続け、3000℃以上で、光輝く73.6トンの超高温液化ウラン塊はその最高レベルの19.1という比重ゆえに大地を融かしつつ沈みはじめて、この三月で、まる三年になる。

ここで沈む時速を計算してみよう・・・。1000℃前後の、海水由来の水蒸気を含んだ、比重2.5以下の軽いマグマが冷えながら地中を浮かんで磐梯山火口までくるのと真逆の、人類初の現象を眼にすることになる。
地球上最重レベル19.1の比重というそれ自身の重みと3000℃以上という超高温で地中の比重2から3程度の地質を融かしながら地球の中心に向かって沈んでゆく。
沈下した後には強烈な放射能を発する冷えたスラグあるいは溶岩のような太いチューブ状のものが残るのではないだろうか、途中で地下水脈に当たれば大小の水蒸気爆発を起こし地層を破壊してゆくので、現実に福島第一原発直下の地震(例えば震源地が福島浜通りと表現された)が小さな地下核実験の時のように大小無数に生じてゆくので、超精密な地震波トモグラフィーを使えば、その核燃料塊の位置の推移と挙動の三次元解析の詳細なデータが得られ、沈下のスピードが測定される、これは「緊急復興支援の米軍とともに派遣されてきた地下核実験専門家のような特殊科学者チーム」にはもうすでに詳細が軍事機密として把握されているのではないだろうか。

このような世界初の現象をみすみす見逃す原水爆専門家も政治家も科学者もいないだろう。
最終的にはプレートを貫通してマグマの中をさらに沈下してゆく、地球の中心の鉄を融かして?。
小学校低学年並の私の計算で福島沖の日本海溝が深さ8000メートルとして、ここからさらにプレートが日本列島の福島の下に沈み込むとして、たとえば福島原発の地下50キロメートルの深さにプレートがあるとすれば、たとえば、メルトスルーしてゆく融けた核燃料塊が時速1メートルで沈下しているなら、この3年間で26.28キロメートル沈むので、この3年間でプレートをいまだに貫通していないことになる。そして時速2メートルなら・・・。

そうして、時速40メートルならば、2011年3月23日7時12分の福島 浜通り、すなわち福島第一原発地下8キロメートルの地点を震源とするマグニチュード6.0の地震が理解出来そうな気がする。
この深さ8000メートル付近は福島沖の日本海溝の深さとほぼ同じで、水脈があるのか、2011年4月11日17時17分の前後にもマグニチュード5.4から7の地震が複数回起っている。
これは1号機から2号機、3号機それぞれの融けた燃料棒塊の沈下スピードが異なるためかもしれない。

この場合は融けた燃料棒塊単体がコンデションを変えずに真珠のような玉鋼のように夾雑物を交えず同質同温の地中を沈下する場合を考えた単純妄想。

チェルノブイリの象の足と福島の巨大山芋

もう一つ、次の妄想、3000℃以上に融けた燃料棒塊が夾雑物を巻き込む性質を有する場合、複雑な地下の地層の融点の異なる岩石と土の構成により枝分かれし、さらにそれぞれを融かすスピードに差が出るので、チェルノブイリ原発事故での地上での「象の足」のような未知の奇怪なものが生まれる。
福島第一原発の地下では、石だらけの河原に生えた、枝分かれした巨大な山芋のような姿で、地下に伸長していって夾雑物ゆえに燃料棒としての純度が下がり続け、失敗した出来の悪いスラグ状の玉鋼のように最終的にプレートにまでも到達せず冷え固まっているのではないのだろうか・・・。

どちらにせよ、地上での放射能汚染が止むことがないように、地下水の汚染もやむことがないだろう。
それゆえにこうした深刻な真実もその解決不能ゆえに、公表が現在の「ローマ帝国と変わらない統治システム」であるなら、意味を成さず、それゆえに、我々に公表されることもないだろう。

しかし、「天網恢々粗にして漏らさず、隠されたことであらわにされないことはない。」「原発は原爆をつくるための方便であったのであり、神に敵対するものである。」という声も何処からか聞こえてくる。

ちなみに、地球の中心のマグマの温度は6000度、太陽の表面温度も6000度。太陽の中心温度は16000000℃。
原爆と原発は同じ核分裂によるエネルギー。水爆は太陽と同じ核融合エネルギー。

岡京か熊京か

これまでの長野でなく、岡山への首都疎開が少しずつ現実味を帯びてきているのも事実。
移住先はネットで調べて日本一空間線量が少なく、「脱原発」を明確に打ち出している細川さんのお膝元の熊本が幼い子供を育てる若い世代で人気だそうな。2011年の3月20日に東京から2歳の子供のために郷里熊本に移住、移住者支援のゼロセンターを立ち上げた坂口恭平の行動力もすごい。
高知県の尾崎知事は橋本前知事と違い伊方原発再稼働容認の様子だから・・・住み心地はどうだろう・・・「脱原発移住人」としては住むのに少し肩身が狭かろう。

私も24歳の頃には休学届けを出して、盲目的膨張を続ける東京から脱出して、たとえ無人島に漂着しても土を捜し、自分の仕事を起こし、美しい自然の中で自己完結の人生を送ろうと、心に漠然とした不安の固まりを抱えたまま、あてどなき放浪の旅をした。徹底的に歩いて野宿をしながら、陶土があり、窯の築けそうな土地を見て回った、歩くとその土地の詳細なオーラがよく分かる。最後の修行地は熊本で、自分のカリキュラムで陶芸の修行を終えた。
やはり「荒ぶる神の拠る所」土佐の猛々しい四国山脈と紺碧の太平洋が無垢でいいと36年前に帰高した。
遠縁の人の所有地だった現在地に案内される途中、木漏れ陽の下に四万十川の清い淵が見える地点で何故か「この先に自分の窯場がある!」と分かってしまった。なんとも説明しがたいが、闇のなかの灯台のようなビジョンが鮮明に観えた。
丁度、36年前の冬の今頃、栗の乾いた落ち葉を踏みしめて南向きの山腹に立ち、此処だと分かった。
そしてブルドーザーを頼み、土地造成が完成したのが3月2日だった、翌朝の3月3日、水平な更地には3センチの真っ白な雪が積もった、今朝のように。

今、旅をする若い人達は安心して子育てできる土地を捜しているが、何所に行っても、巨大な泳ぐイカのような姿の、かつ太平洋火山帯の日本列島は原発だらけだし、疫病、自然災害、国家破綻、等々を考えると、縄文時代と同じく、ある意味、覚悟を持って生きざるを得ない。
お釈迦様も言ったようにやはり「この世は火宅である」ということが、まず、この物質世界の前提にあるように思う。

一日一日を精一杯生きて、この太陽と月と海と植物と・・・のある、この希有な地球上に、自分で、望んで生まれた得たことに感謝して生活していくことになるだろう。

パタゴニア

たまたまネットサーフィンをしていてパタゴニアの中渓宏一という人の存在を知った、テレビ番組で紹介されたこともあるらしい。
3.11の大震災6日後、最悪の事態を想定して日本脱出を決行、家族3人で、暮らしていた北海道を立ち、空路福岡へ、航路で韓国に、そして空路香港、シドニー、ブエノスアイレス、そして陸路でアンデス山脈を越えてパタゴニアのラフンタ村に2ヘクタールの土地を買い緊急移住、山小屋で電気、ガス、水道のない生活をしている。
ナチスによるユダヤ民族浄化という隠蔽された大量虐殺と、原発事故で発生した放射能によるDNA切断と、逃避行の動機は違っていても、ナチスの虐殺から逃れる亡命ユダヤ人一家のスリリングな脱出劇と本質的には同じである。
放射能雲の広がりから鮮やかに脱出出来ている、情報取得が極めて正確で速い。
「美しい水、美しい野菜、美しいお米、美しい魚がすぐ近くにあって、森と青い海と気の合う仲間に囲まれた世界に住みたい」ということ。
それにつけても、中渓宏一氏の場合、アフリカやシリアの難民キャンプにいる悲惨な境遇の人達とは、選択肢の多さ、次元、ともに異なるけれども、それぞれ異境での暮らしは異星での暮らしに等しく、尋常な体験ではないと思う、本当に大変だろう、それを楽しめる彼の器量は凄い。
新たに、なにかを手で握るには、今、握っているものを手放さねばならない。
この中渓宏一というひとのケースには私にとっても学ぶことが非常に多い。

「サステナブルライフ」という「環境に負荷を掛けない持続可能な生活」とは縄文時代の生活に近く、私もそのために縄文文化研究所を立ち上げて、彼等の1万数千年間も続いた生活を模索しつつ、こうして7300年前の高知県刈谷我野遺跡に起きたリセットの風景までも俯瞰して、人類の未来を考えている。
共産主義も資本主義も肉体人間の限界を思わせる欲望のためにほころびてしまった今、虫にも、魚にも、空を飛ぶ鳥それぞれにも、その土地その土地にも、それぞれ嘆きと喜びはあるにしろ、中渓宏一氏一家の瞳に写ったパタゴニアの生活は楽しそう。

遥か太古の時代には南極と北極がグレンと入れ替わったことが何度かある。
中国の雲南とペルーのチチカカ湖が軸になりポールシフトが起こり。
ノアの箱船のように無事だった動植物が雲南とチチカカ湖から再び地球上に広がったという夢物語もある。
地球霊王の前では人間は無力である。

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