武吉廣和のクリスマス展
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祝 高速道路開通  穴窯で赤松30トン、10昼夜の焼成。

期間:2015年 12 5日(土)〜12 30日(水) 時間:AM 9:00〜PM 5:00 *木曜・定休
会場:ギャラリー 龍窯
   〒786-0097 高知県高岡郡四万十町日野地326
  <ギャラリー龍窯 地図>
   Tel&Fax/0880-23-0054  作家携帯/090-4506-0572
   ● 龍馬空港からギャラリー龍窯まで 車で1時間半。
     四万十町中央ICより 車で25分、松葉川温泉 手前1kmに看板あり。

 
高知県奥物部神池在来種大豆 ハチマキの収穫

この秋は暖かかった、太平洋にゴジラエルニーニョがいるらしい。
冬の12月3日になったのに畑の琉球の葉が霜でかじけていないし、秋ジャガの葉も蒼蒼としている。
150個の吊るし柿は青カビ発生で全部廃棄処分。
無農薬自然栽培の畑作りのほうは成功で、ようやく高知県奥物部神池の在来種大豆ハチマキの収穫と豆の選別作業が済んだ、これから味噌作り。今朝の旬の朝食は煎ったハチマキとコーヒー、デザートは完熟の渋柿である。

今年2015年は、竹やぶの開墾、その竹でのシシ垣作り、その土での駐車場拡張、その石での石垣築き、間伐材での窯屋根修理・・・の年である。そして、4世紀のローマ帝国の皇帝たちのように、つぎつぎと果てしなく大量に侵入してくるフン族やゴート族のような鹿とイノシシを帝国から追い出す戦いに奮戦した。
都のほうでは、友人達の会社創業や、お子さんの結婚や、お孫さんの出産の知らせが多く、なんだかおめでたい繁栄の一年という感じがする。この暖冬でお正月には梅のお花見が出来るかもしれない。

イエスの謎 ー魔術師か神かー になるまでの18年間

クリスマスの月なのでイエス キリストのことを書こう。
B.C.は紀元前を表す記号で「Before Christ」の略である、西暦1年は6世紀頃にローマの修道士ディオニシウス・エクシグウスによって考案された、キリストの誕生した年であるということになっている。
この2000年間はイエスが地球という惑星の基準になっている。写楽が謎だったり、俵屋宗達が謎だったり、シェークスピアが謎だったりするように、イエスも謎である。

新約聖書にイエスが描かれているのは、イエスがヨルダン川でヨハネから洗礼を受け、鳩のような精霊が下り、精力的に伝導を始め、人類史上、空前絶後の奇跡を起こし、33歳?で磔刑になり、そして復活するまで、たったの3年半という短い期間である、友人のキリスト教の熱心な信者にきいても知らないという。イエスの身近には3年間も12使徒が居たのだから、皆がイエスのキャリアについて質問しなかったはずはないし、イエスも教えなかったとはとても思えない。
一体、どんな修行をして、病気直しや死者を生き返らせることが出来たのだろうと思う。
30歳以前の聖書の記載は、ルカ伝2:40〜52に12歳のときのエルサレムへの家族旅行での描写があるのみで、12歳から、ヨルダン川に現れる30歳までが謎の空白の18年間ということになっている。
これからイエスの青春について書こうと思う。
キリスト教を真摯に信仰されている、まじめな方には頭から煙が出るほど受け入れがたい内容ですので、読まれる方は、テレビ番組の「都市伝説」と思って楽しんで下さい。

「眠れる予言者」エドガー・ケイシー(1877-1945)のリーディング(催眠時のアーカシック・レコードの読み取り)は7000件以上が失われてしまったが、記録に残っているものだけでも14000件に達するという。
長生きはするもので、パソコンのおかげでこんな山奥にいても、エドガー・ケーシーのリーディング記録というものの真贋追跡調査が自分1人でできてしまう。
ごく一般的かつセンセーショナルなものとして、今回は、1947年のグノーシスのエッセネ派の「死海文書の発見」と1996年の「エジプト、プトレマイオス朝の首都であり、クレオパトラと、その三十数年後のイエスの遊学時代の世界一の大都アレクサンドリアの海底遺跡発見」がケーシーの予言実現の例として挙げる。
リーディングの記録は、過去はアトランティス時代の文明の詳細にまで遡行し、ビュルム氷期以後の各古代文明の各々の詳細、ケーシー生存当時の様々な事象、そしてはるか未来にまで至る。ケーシーが未来に転生して後、未来では一般的な移動手段になっている飛行艇に乗って地殻変動後のアメリカ上空を飛びながら、エドガー・ケーシーだった頃の自分の痕跡を捜すシーンの記録まである。その膨大なリーディング記録の中から、イエスの青春に関するものの一部をネット上からピックアップして簡単に書き写すと、ざっと以下のようなことになる。

 「イエスの青春」

イエスの誕生は「・・・イエスは、3月19日に生まれた。ユリウス暦<B.C.45年にユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザーのこと)が制定>の4年。」とあるので今の西暦4年3月19日にイエスは生まれたことになる。

西暦4年3月19日にパレスチナの貧しいユダヤ地区の家畜小屋で誕生。 
 カーメル山のエッセネ派の神殿でアンナと高位の神官による祝福の後、ガリラヤ地方のナザレに帰郷。
 その後エジプトに移住。(5年間)
 ナザレに帰る。
 マリアとヨシイ(マリアの侍女)によりモーゼの掟や天文学、世界についての情報を教育される。(12歳まで)
西暦16年(12歳)エルサレムへ家族旅行。(ルカ伝2:40〜49)
西暦17年(13歳)預言者ユディ(女性)の許にやられ予言を学ぶ。
西暦20年(16歳)ユディに、まずペルシャ、次にインドへやられた、最後にエジプト(プトレマイオス朝)に行き寺院の僧侶たちから教えを受けた。

 ー以下、具体的なリーディング記録の一部ー

1937年11月6日、ケイシーはある婦人のためにリーディングを行った。
目が覚めると、ケーシーはただちに婦人のもとへ行き、ひざまずいた。
意識が蘇ってくるとき、彼は主とともに歩いていた。主は彼の肩の上に手を置かれた。ケイシーはこの婦人が主にとって大切な人であることを感じた。
それを確かめるためにおこなった次のリーディングによって、彼女がイエスのエッセネ派の教師、ユディ(ユデト)であることがわかった。パレステチナ時代のことよりも現在の事象に関わることをリーディングしていたので、彼女がユディの転生であることに気がつかなかったのだ。
・・・
質問:「イエスがパレスチナに滞在しているとき、ユヂィとは近い関係にあったのですか。」
 答:「その(転生における)時期においてユディという実体は教師でした。近いだって?とても近くて、心と目的は伝統的といってもいいほど近かった!実体は主をペルシア、エジプト、それから、そう、インドへと送りました。そうして主は行動において完全な知識を身につけたのです。それは道となり、真実となりました。」

質問:「パレスチナにおけるイエスの教育について教えてください。どんな学校に通ったのか、どれだけの期間、何を学んだのか、そして何という名で呼ばれていたのか、教えてください。」
 答:「パレスチナで勉強をしたのは、エルサレムの神殿に滞在した期間のみです。つまり聖書のルカ伝に書かれているように、ラビ、すなわち教師に囲まれているあいだだけのことなのです。教育期間のほとんどはペルシャ、インド、エジプトですごしました。イエスの当時の呼び名はいつもイェシュアでした。」

質問:「ユディがイエスに何を教えたのか、つまり、どこで何のテーマを教えたのか、外国で何を学ばせようとしたのか教えてください。」
 答:「預言ですよ。どこでか? それは彼女の家です。いつ?それはイエスが12歳から15、6歳のときまでです。それからペルシャへ行き、インドへ行きました。ペルシャに滞在しているとき、イエスの父が死にました。エジプトにはヨハネが先に行っています。そこへイエスが加わり、ふたりでピラミッドのなかや寺院でイニシエーション儀式を行いました。」

質問:「ユディは外国でイエスが何のテーマの学習をするのか、プランを持っていたのでしょうか?」
 答:「あなたがたが占星術と呼んでいる学問です。」

質問:「インドではだれのもとで学んだのですか?」
 答:「カフジャンです。」

質問:「ペルシアでは?」
 答:「ジュンネルです。」

質問:「エジプトでは?」
 答:「ツァルです。」

質問:「インド、ペルシア、エジプトではどんな教えを受けたのでしょうか?」
 答:「インドでは、メンタル面と同様肉体に関しても強くするため、身体を浄化しました。ペルシアでは力を合わせる術を学びました。それはズとラの教えです。エジプトでは、寺院の中ですべての教えの基礎を学びました。」 
質問:「ユヂィがいるときのイエスの大きな事件は何ですか?悪魔祓いとか、ヒーリングとか、5千人を食べさせるとか?」
 答:「ティーチングですね、5年にも及ぶ。」

質問:「磔刑や復活のとき、ユディはその場にいたのですか?」
 答:「いえ。霊として、つまり心の中にはいたのですが。思い出してください。ユディはまるで肉体なしにいろんなところに現れているように見えるのです。」

 「イエスの教師ユディとは・・・さらなるリーディング記録から」

女の子ユディはイエスが生まれる24年ほど前に生まれた。
ユディは静かな環境で神を体験し、霊的生活をするなかで学び、エジプト、ペルシャ、インドについて学び、歴史、物語、口伝により伝えられた伝承を、それまでのペルシャの方法ではなくエジプトの方法で、記録、保存した。
ローマ帝国によるユダヤ民族支配抑圧のなか、ユディは最後の頼みの綱になっていた。
そんな時、東方から賢者たちが来訪した、ひとりはペルシャから、ひとりはインドから、ひとりはエジプトからやってきた。賢者たちはユディから多くを学び、そのことを王に報告した。

すこしあと、御子がエジプトに逃れたあと、ヘロデ王はエッセネ派を警戒し、御子を殺すため、幼児抹殺令を出した。
洗礼者のヨハネの母とイエスの母マリアはいとこ同士でエッセネ派、イエスの教師ユディはローマの抑圧のなかメディア人、ペルシア人、インド人と交易し、サネイドやブラフマー(バラモン教の創始者、輪廻転生を説く)、ブッダの影響を受けた。
ユディはエジプト社会とユダヤ社会とを比較研究し女性の地位向上と愛による魂の救済を教育した。
ユディの活動はある人々の敵愾心をかきたて、ナザレ派の人々やイエスに従う人々、また使徒たちへの迫害がおこった。
ユディは肉体に無数のムチを受けながらもイエスの誕生から67年間を生き、91歳の長寿を全うした。
ユディは死後ますます尊敬された。エッセネ派の神殿のあったカルメル山から、アンティオケア、エルサレム、スルミナ、フィラデルフィア(現在のアラシェヒル)の発展をもたらした。
死海文書のなかにはユディが書いたものがあるとリーディングの中では語られている。

 ーリーディング記録から、さらにイエスの全貌を俯瞰するとー

イエスは30回ほど転生しているが主なものをあげると以下のようになる。

アミリウス:アトランシス時代、キリスト魂を最初に受肉した。
アダム:最初の人の子にして神の子。
エノク:洪水後の族長。
ヘルメス:トートとも呼ばれた賢人。ピラミッド(10500年前、ギザのピラミッド)の建設者。
メルキゼデク:大祭司でサーレムの王。
ヨセフ:ヤコブの子でエジプトの王子になった。
ヨシュア:イスラエル人を約束の地へ導いた戦士。
アサフ:音楽の監督。
イェシュア:大祭司で神殿を再建した。ケーシーによれば聖書の編纂者。
ゼンド:ゾロアスターの父でゼンド・アヴェスタ(最後の審判・天国と地獄が内容に)を編纂した。
イエス:キリストとしてat-one-ment(贖罪)を達成した。

ただし「イエスの重要な転生を教えて下さい」と問われ、ケイシーは「アミリウス、アダム、メルキセデク、ゼンド、ウル(北欧神話の神?)、アサフ、イェシュア、ヨセフ、ヨシュア、そしてイエス」と答えている。

 ーイエスとケーシーとの関係・・・リーディング記録からー

イエスの前世とケイシーの前世とが交差する瞬間があった。
かつてケイシーはユールト(Uhjltd)という名の族長としてペルシアに転生した。ユールトが瀕死の重傷を負ったとき、たまたま通りかかった娘が彼を助け、看病した。ユールトには彼女がエジプトでイソであったことに気づく。イソはラ・タとイリスのあいだにできた子供で、ユールトの前世で双子の魂だったのである。彼は看病してくれたこの娘と結婚し、生まれてきた子供がイエスの前世の一つであるゼンドだった。ゼンドはゾロアスターの父だった。
エリアはエドガー・ケーシーの転生の一つとリーディングで明らかにされたが、つけあがるといけないから本人にはつたえなようにと付け加えられた。エリアはB.C.875年頃の予言者でメシアを迎える為にカルメル山に予言者の学校を作った、それがエッセネ派のはじまりであるとリーディング記録にある。

エッセネ派は800年以上先を見越して・・・メシアを迎える準備をし、完遂し、そしてミッションが終わり、全滅、痕跡すら残さず歴史から消える・・・私(武吉廣和)も言葉が出ないほど驚いてしまう。

アーカシックレコード読み取りで、ケーシーをシュタイナー同様に信頼する私にとって、エリア以来存続したエッセネ派に該当する聖書の記載は、綿々たる預言者の系譜以外、全く見あたらないことは、本当に不思議なことだと若い頃から思っていた。
西暦66年〜74年のユダヤ戦争でローマの大軍に包囲されたエッセネ派は死海文書をクムランの断崖の洞窟に隠し、集団で身を投げ、歴史上から消える。その後のイエスの教えへのローマ帝国の弾圧の継続にもかかわらず、イエスの教えはゲルマン人やゴート族にまで広まる。
とうとうキリスト教徒が皇帝に委任され皇帝となる、そのテオドシウス帝により最高神ユピテル(英語名ジュピター)が廃され最高神がイエスキリストになる、キリスト教が西暦388年に国教となる。
しかしその頃にはグノーシスのエッセネ派の古文書はとっくの昔に外典として排斥、焼却され、輪廻転生も否定され、アリウス派も権力闘争の過程で異端とされ三位一体論のキリスト教となる、395年ローマ帝国は東西に分裂する。

モーゼの率いる民・・・そしてダビデの国はヤハウェを祭り、ソロモン王の時代にヤハウェ(エホバ)の壮麗な神殿を建設する。ソロモンの王国は栄華を極め、それと同時に300人の妃のそれぞれのふるさとの国の宗教を祭ることも寛大に認めた。
以後、ヤハウェ以外の神々をも祭る王が代々続き、イスラエル陥落、ユダ王国のバビロン捕囚と悲劇が続くなか、エリアの始めたエッセネ派は神はヤハウェのみという一神教の伝統と、ヤハウェの預言者の系譜を純粋に真っ直ぐに受け継いだ、そして、カルメル山のエッセネ派のクムラン教団から救世主イエスが生まれる。
聖書で死者を蘇らせた記述のあるのはエッセネ派のエリアとイエスだけである。

*武吉貴子注:輪廻転生については、マタイによる福音書6-12の記述でイエスの祈りのなかの「負い目」とは「輪廻転生のなかで我々が犯して来た過去世のカルマのこと」との説があります。イエスは人々のアーカシックレコードを瞬時に読めたという説があります。

ケーシー財団に残されたリーディング記録からは、我々人間は本来・・・神である、光である・・・というグノーシス思想のエッセネ派のクムラン教団で育ったイェシュア少年が、ユディのネットワークで諸国を遍歴し智者達に学ぶ姿が想像される。
これでイェシュア少年がヨルダン川でヨハネによって洗礼を受けるまでの謎の18年間の成長記録が明らかになったと私(武吉廣和)個人は納得している。

 ー隠されたもので、露にされないものは何も無いー

アーカシックレコードには当然、過去だけでなく未来も記録されている。
イエスは旧約聖書に記録されているメシアの預言を3年あまりの短い期間で、ロバに乗るような些細なことと思われるような、旧約聖書のメシアについての預言の詳細に至るまでも、いちいち人々に確認させて体現したことが記録されている。
ユディとイエスの関係での「預言を教えた」と「伝統的」とは「旧約聖書に記された預言を全部踏んでメシアとして体現すること」だと思う。
予言については、一定以上の数の人々からの宇宙創造神への真摯な要請(祈り)があれば未来は変えられると私は思っている・・・地球に衝突する予定だった小惑星の軌道を逸らせ、成就しなかったノストラダムスの予言のように・・・。

シルディ・サイババは1918年に他界する時、8年後の転生を予言し、予言どうり8年後の1926年にサティア・サイババとして転生した。サティア・サイババは2020年に94歳で他界し、8年後にマイソール州のグナバルティ村に転生し、21歳のとき過去世を思い出し、プレマ・サイババとして・・・と予言していた。
予言は変更され、2011年にサティア・サイババは86歳でこの世を去ったが、8年後つまり2019年にプレマ・サイババとして、カルナタカ州の・・・と予言している。この転生宣言の変更も、人類の行為から発生するような、なにか子細があってのことだと思う。
2019年はもうすぐである、しかし、生まれても転生が本人から宣言されるのは20歳頃になったりするので、生まれてすぐにマスコミに察知され、各国からレポーターが殺到して国際ニュースになるようなことはないだろう。
イエスの時代と基本的には何ら差異の無いものの、16400発の核爆弾があるという現在の危機的状況では、サイババの転生は地球の平和のためには希望になるし、喜ばしいことである。

ルドルフ・シュタイナーは神智学協会ドイツ支部長だった時、自分でアーカシックレコードを読んで、「インドの奥地で発見された少年、クリシュナ・ムルティ」がイエス キリストの転生ではないと主張し、会長だったアニー・ペザント(神智学協会設立者ブラバツキーが後継者として指名)と対立、神智学協会を去って人智学協会を設立した。

アメリカの多くの州では、3500年前のモーゼの掟に反し、同性愛、同性結婚、人工授精、人工中絶、臓器移植、臓器売買、遺伝子操作による人工細菌、人工植物と人工動物、人工ホルモン、人工薬物等々が合法化される方向にあり、科学を悪用した原水爆、レーザー兵器、低周波兵器、宇宙兵器・・・をも含めて、神の領域に人間が踏み込む事態が起っている。
そうして、当然の結果として、中間層が消え貧困層の拡大が生まれ、毎年、何千ものキリスト教会が閉鎖され、不動産会社により売りに出されているが、なかなか買い手がみつからないという厳しい現実がある。

この21世紀は、進化のプロセスで、かき混ぜ、濁った水が沈殿して澄むような「浄化」とともに、量子力学によって科学と宗教が出会い、量子コンピューターの出現で、さらに新しい宗教科学、あるいは宇宙標準の宗教というものが生まれてくる。
これが21世紀が精神文明と言われる由縁であると思っている。
真の芸術とは本来、宇宙標準の宗教である、そういう意味で芸術は宗教の母である。私の陶芸はそうした一翼を担うものという高いモチベーションと心意気でやっている。

キリストの再臨とは2000年前のナザレのイエスが、その頃の姿のままで、再臨するのではなく、キリストなる真理の大光明が、宇宙の法則そのものの科学として、はっきりこの地球界に現れる、ということだと思う。
イエスが病人を癒し、死人を蘇らせ、墓の中から霊人として復活したのも真理の大光明を我々に「目にもの見せた」にすぎない、2000年も昔に。

あとがき

「人間は本来、神であり光である」というグノーシス思想と、「人間は本来、神の分霊(わけみたま)であり光りの一筋である」という日本の古神道の思想とは同じである。そしてなぜか徳川家康の戦場での旗のキャッチコピー「欣求浄土 厭離穢土」がぴったりする。
グノーシスを芸術で表現するとフラ・アンジェリコ、レンブラント、バッハ等々の作品を思い浮かべれば分かりやすいと思う。
そして、老子やババジと同じ謎の存在のヒマラヤの聖者(モリヤ大師)からのミッションでブラバツキー夫人が著した宇宙規模の惑星の進化の歴史と、宇宙の真理と宇宙の法則の体系である神智学と、自分でアーカシックレコードを読んで分派したシュタイナーの人智学とも、グノーシスは合致する。

現在、ヨーロッパでは、学校をいくら作っても足りないほど成功しているシュタイナーやクリシュナ・ムルティの学校、インドで成功しているサイババの学校教育と病院は、ともにグノーシス思想で構築されている。
明治時代、徴兵制度から始まった日本の学校教育制度の「現状維持」は、世界から取り残され、国連からも非難されている。
日本の文部科学省は封建統治の障害になるグノーシス思想をローマ帝国と同じく受け入れず、フリースクールのシュタイナー教育でも「宗教」の部分は頑として許可しない。
シュタイナーは「宗教のないシュタイナー教育はシュタイナー教育ではない!」と、はっきり断言している。

友人たちから様々な書籍が送られてくる、日本の天皇家はイスラエルの失なわれた12氏族のひとつ、エフライム族であるとか・・・聖徳太子と光明皇后と空海は景教を信じていたとか・・・これらの書籍は綿密な資料と考古学と最先端の遺伝子解析等々が元になっている労作で、ほんとうに面白くて勉強になる。
日本の神道がユダヤ教であり、秦氏がイスラエル人であり、聖徳太子が景教で聖武天皇が仏教で、その妃光明皇后が景教で、信長がキリスト教で家康が仏教で武士は儒教で・・・。明治からは国家神道でキリスト教が復活、庶民信仰は古神道が復活し、天理、黒住、大本教へと、そして大本のながれの日月神示が現在注目されるのは、やはりグノーシスであるからだと思う。

ユディはあれだけの「実体」だったわけであるから、・・・ローマ帝国での聖書編纂過程で存在を排除しようとしてもはずせないだろう・・・正典の中に描かれている可能性がないというはずがないと思い、捜した・・・ユディはおそらくマグダラのマリアであろうと私は勝手に推定している。「元教師」を「元娼婦」と文字をすり替えられ、貶められたと考えればよく分かる。
1945年に発見されたナグ・ハマディ写本のなかの外典「マリアの福音書」はエジプト語でパピルスに書かれていて、マグダラのマリアであろうマリアは、イエスからの信頼の点で突出した、聡明で気丈な女性である。

失われた7000件のリーディング記録にはファティマの予言のように「当時のアメリカ社会では発表するにはあまりにもリスクが大きすぎる部分」も含まれたのではないかと思うほど、ぼかした部分もある。

 

 

 

 

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