2015年 新 春 展
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祝 高速道路開通  穴窯で赤松30トン、10昼夜の焼成。

期間:2015年 2 1日(日)〜2 28日(土) 時間:AM 9:00〜PM 5:00 *木曜定休
会場:ギャラリー 龍窯
   〒786-0097 高知県高岡郡四万十町日野地326
  <ギャラリー龍窯 地図>
   Tel&Fax/0880-23-0054
   作家携帯/090-4506-0572
   ● 龍馬空港からギャラリー龍窯まで 車で1時間半。
     四万十町中央ICより 車で25分、松葉川温泉 手前1kmに看板あり。

 
プエブロ土器女性研究者

最近、海外からのお客さんが多い、カナダ・フランス・ブラジル・中国・・・。
こんどはアメリカである。
お客さんの共通項は陶芸家あるいはコレクターである。

来客は気品があって美しい妙齢の婦人4人で、うちひとりが電子辞書で専門用語を一所懸命に通訳してくれて、考古学者と陶芸家との双子姉妹を中心にプエブロ土器、縄文土器、須恵器、自然釉、陶土、薪の焼成法・・・の話となった。
言葉が多少通じなくとも、発掘資料と発掘報告書が読め、そして資料をとうして技術レベルを視る鑑識眼を培っているので、一般人と違い、陶芸の世界の普遍的価値が専門的に深く理解出来る。
お互いに楽しいひと時を共有することになった。

スマートフォンで彼女が制作した5点の陶芸作品の写真を見せて頂けたことがお互いを理解する鍵になった。
電子辞書とスマートフォンは本当に便利。
陶芸家の世界では、お互いの作品を観れば身分証明書のように相手が誰であるか分かる。
それにしても、プエブロ土器は世界で最も美しい土器である。
これを機会に、「空から灰の詰まったヒョウタンが降ってくる」という伝説を国連で演説し平和を貫いた、ホピ族との関連も調べてみようと思う。
ホピ族もプエブロ先住民の一支族ではなかったかな。

妻もしみじみ、 「今日はなんだか大儲けしたような、楽しい気分だわ!」・・・ と。

陶芸家と原発

<終わりのない惨劇ーチェルノブイリの教訓から(ミシェル・フェルネクス他共著、緑風出版2012年3月刊行)>の76ページを読んでいて次のような記述があった。

「ホミュエリ(ベラルーシ)のゴメリ医科大学では、汚染地域から来た医学生の多くが、入学直後の心電図検査で異常を示していた。不幸なことだが、四年間の勉学が終わりになるころには、体の変調も重いものになっていることがあった。
体の組織のうちでもとりわけ、心臓の筋肉と導電組織とは、(再生能力が高い骨格筋細胞と違い、心筋細胞はほとんど分裂しないため)セシウム137の蓄積が多い。 この心筋萎縮症という病についてパンダジェフスキ(ゴメリ医科大学初代学長、病理解剖学)は、予防しなければならない、損傷が不可逆になる前に治療しなければ、と書いている。そして心臓だけでなく他の臓器もダメージを受けてゆく。」

私は、この個所を読んでいて唐津焼の中川自然坊という私の弟とほぼ同じ年齢の人気作家が2006年から心臓を病み、生きるには心臓移植しかない状況で、2011年に多臓器不全で58歳の若さで亡くなったことを思い出した。
まだ若いのに何故?という思いと、心臓と多臓器不全という陶芸家の死因としては聞いた事の無い言葉に違和感を覚え、その「なんだ?」という印象はなかなか消えなかった。

さらに176ページで「原子力発電所は放射性核種を合法的に大気中に放出している。
その中で特に問題なのは沃素同位体、ニッケル同位体、コバルト同位体、セシウム同位体であり、さらにアメリシウム、クリプトン、炭素14がある。さらにトリチュウムがあり、これはミトコンドリアに変異を引き起こして癌を促進するとも言われている。
原発からは排水に混ざって水溶性の放射性廃棄物もまた、合法的に放出されている。こうしたもののそれぞれの線量は確かにごく僅かなものではあるが、何度も繰り返して、一年中放出され続けているのだ。」という記述があった。
ここで合法的ということと、医学的に健康に害がないということは関係ない。原発の構造が個体の使用済み核燃料以外はとどめるようになっていないだけのことだ。

中川自然坊の窯は佐賀県東松浦郡玄海町にあり、玄海町には玄海原子力発電所がある。
九州電力で最大の発電所であり、九州7県で使用される電力供給量の3割以上を発電する。
「現在、稼働している原発の多くは100万キロワット級といわれるものだが、広島原爆1個を8時間かけて燃やし(核分裂させる)ていることになる。つまり、一日3発分の広島原爆(ウラニウム=U)を燃やし、そのエネルギーで電気を起こしているのが原発なのだ。」
<かもがわ出版、被爆者医療から見た原発事故ー被爆者2000人を診療した医師の警鐘、2011年8月出版、郷地秀夫著>
チェルノブイリ原発事故でも運転当直主任が危険と判断して自動防護用ボタンを押してから、たったの18秒後に燃料棒集合体が爆発している。

私の窯場が立地する四万十町は2006年の合併前までは窪川町という名称で、1975年から極めて激しいリコール住民投票という「窪川原発闘争」が始まり1986年にチェルノブイリ原発事故が起こりその翌年に原発建設計画は立ち消えになった。
原発闘争の真最中から町議会のテレビ収録が始まり、今でも町議会では、町長をはじめ、どの議員がどういう発言をするのかは町民が強い関心を持ってケーブルテレビを見ている。
私の1978年の窪川町での独立開窯から10年間、窪川原発闘争は続いた。
大学時代も学園闘争の渦のなかで制作し、帰高したら、こんどは原発闘争の渦のなかで制作したことになる。
激しい住民闘争5年目,1979年に起きたレベル5のスリーマイル島原発事故と、11年目の1986年に起きたレベル7(最悪レベル、福島も7)のチェルノブイリ原発事故がなければ玄海町と同じことになっていたろう。
それにしても原発推進側の圧倒的な金と権力には「なぜにここまでのことができるのだ?」と思い続けた。
その答えは<終わりのない惨劇>102ページにあった。

「私(ロザリー・バーテル)の考えでは、1954年は別の意味でも大きな転換点でした。水素爆弾の実験が始めて成功(軍事の立場から見てという意味ですが)したのが1954年です。水爆によって、原爆の爆発にさらに、限りない火の力が加わったのです。広島や長崎で使われた形式の原爆では、火の力は限られていました。水爆の場合は違います。ですから、西側の列強、特にアメリカが戦略ドクトリンの中核に原水爆を据えることを決定したのが、この1954年なのです。
商用、あるいは自称「平和利用」の、原子力プログラムが実施に移されるのがこの時代です。それによって、北アメリカの隅から隅までを一つの巨大な爆弾製造工場として編成することになりました。ウラニウム鉱山、濃縮工場などだけでなく、物理学や原子力技術を教育する大学なども共犯関係に入っていきます。民間の協力を確かなものにする必要がありました。
国際放射線防護委員会(ICRP)が組織されるのもこの時期です。

核兵器の機密の只中に誕生したこの組織は、誕生の瞬間から既に、国家機密の中に浸っていました。
男性ばかり13人の委員会です。(1990年にはじめて女性が加わりました。)
いろいろな定義を練り上げるのも、決定を下すのも、この13人なのです。
(私たち日本人としては、この13人の中に1990年以降、重松逸造が加わっていたことを知っておくべきであろう。国際原子力機関IAEAのチェルノブイリ事故調査に際して委員長を務め、犠牲者たちへの放射能の影響を否定する先頭に立ったこの医師は、スモン病、イタイイタイ病、などでも常に加害者の擁護役として登場し、政治的な動きをした。)
メンバーを補充する時の人選も、委員会自身がするので、自足的な継続をしていきます。
放射線防護基準の勧告を検討して決めるのもこの人たちです。その数値がすべての国々によって採用されるのですし、国際原子力機関IAEAが適用する様々な規則も、この基準をベースにしています。
アルベルト・シュバイツアー博士は1958年、「誰が、彼等(ICRP)に許容することを、許したのか!」と憤ったという。
チェルノブイリに際して国際原子力機関IAEAはこの国際放射線防護委員会ICRPの基準をたいへん冷酷な形で適用したのですし、それ以外のたくさんの様々な場合にもそうでした。
ICRPの文書を研究するのはたいへん重要なことです。
1990年版の勧告に被曝の「一時的な」影響のことが書いてあるのを読んで、衝撃を受けました。そうした影響はたいして重大でもないし、保障(補償の誤訳か?)も認定も必要ないと言っています。しかしこれがまさに、人々を苦しめている当の問題で、世界中に周知させる必要がある問題なのです。」

あくまで私見として、この本を読んでいて私が思う事は国連の下部組織である世界保健機関WHOは、同じ国連の下部組織である「全世界の平和、健康、繁栄のために、原子力エネルギーの貢献を加速し増進する」国際原子力機関IAEAへの従属を定めた協定があるので、WHOはただのひとりも福島に入って被曝研究救援活動ができていない。
これもあくまで私見であるが、福島原発事故の場合、IAEAの事故対処マニュアルに沿って、最初から瞬時に把握されていた最悪レベル7のメルトダウン、核爆発も水素爆発と発表され、文部科学省はスピーディを公開せず、児童生徒たちの年間被曝許容量も原子炉労働者並の20ミリシーベルトに引き上げ、流通する食品の暫定基準値は逆に引き下げ安全性を強調し、野田総理が福島原発事故は終息したと発言し、続く安倍総理がアンダーコントロール発言をし、そしてさらに堂々と、トルコやブラジルやベトナムという第三世界への原子炉セールス活動へ出発する。そして誰が見ても穏当な人気漫画「美味しんぼ」を、見せしめのために「風評被害」の大騒ぎでやり玉に上げる。
原発が動かなくとも停電は起きてないのに、この期に及んでさらに再稼働させようとする。
この一連の流れに、怒りを禁じ得ない。これは私だけでなく、世界中のみんなが、心に思っていることだ。

この<終わりのない惨劇>を読んで、モヤモヤが晴れた。
東電も自民党も各大学の御用学者も御用医者も産業界もメディアも(解雇あるいは投獄、暗殺までを覚悟して、あえて信念を貫く勇気ある人々を除いて)、IAEAとその上部構造であるICRPの13人からの指示と支持があるので、狂妄とも言うべき、かつ、チェルノブイリの教訓を何も学ばない、かつ、未来に生まれてくる人類にも酷い被爆者棄民マニュアルを実行出来たのだろう。
逆にいえば獣のような「強イモノ勝チ」という「強者の論理」が鮮明に大露呈された時代に我々は遭遇している。
3.11からの人類への教訓があるとすれば、地球霊王の前では地球を汚染する人類の「強者の論理」が無力で通じない、アメリカの戦略ドクトリンも13人で構成されるICRPも国連のIEAEも水爆弾頭も原爆弾頭も劣化ウラン弾も原発もその毒は人類に返ってきて自滅させられる。

<チェルノブイリ人民法廷(緑風出版 2013年2月出版 ソランジュ・フェルネクス編)>を読むと今年2015年にはWHOの支部ではなくIAEAの支部が福島にできるそうな・・・。
ドイツでは体全体の放射能汚染(体内被曝)を測定してくれるが、日本では日本政府と医師会が禁じている。
もし病院で自分の内部被曝の検査が出来ても、自分の体の被曝詳細データは煩雑な情報開示請求をしないと得られない。
データはアメリカのABCCが広島、長崎の被爆者に行ったと同じように、IAEAの極秘統計資料として独占され、モルモットの日本国民には秘密にされている。
ちなみに、現在(2009年から)、IAEAの事務局長は、なんと日本人で、天野之弥。
(あまのゆきや 67才、2005年・2006年 IAEA理事会議長を務める)天野之弥は3.11後も「原発推進」を明確に表明している。

これも私見であるが、広島、長崎の被爆者に対してアメリカの原爆傷害調査委員会ABCCが「検査はするが治療はしなかった」ように、国連の国際原子力機関IAEAは被曝を認めず、放射能防護基準作成に必要な統計を取るための検査はするが、被曝と賠償を認めることになる治療はしないのだろう。
チェルノブイリでは事故から4年か5年経ったころから急に14歳以下の子供達の甲状腺がんが増えた、福島でもちょうど今年あたりから子供達の甲状腺癌が増え出すことから被曝隠蔽対策がIAEA福島支部設立の目的だろう。
そうしているうちにも、あと3年で福島原発からの汚染水は地球の海をくまなく一周する・・・。 真実をつきつけられる。

アメリカは2013年に日本の14県からの農産品を輸入停止にしている。(2011年は8県)
ABCCもICRPもIAEAも同じなので、我々は70年前の広島、長崎の被爆者が拡大されたような同じ立場に居る。
原発再稼働阻止はもちろん急務だが、内部被曝の危険を少しでも避けることはできないのだろうか。

食品からの内部被曝への対処法については、<終わりのない惨劇>74ページ。
「パンダジェフスキ教授のデータによれば、セシウム137の、体重1キログラム当たり50ベクレルを越す蓄積は、何らかの組織と生体器官の変質を誘発する。
そこでベルラド研究所は家庭を教育して、いちばん危険に曝されている子供たちの体から、汚染を減らそうとする。
基本的に食物からくる汚染である。だから食べ物を選べばよいが、それには金がかかる。
危ない部分を除去するとか、下処理をしてから調理することになる。
牛乳は遠心分離するのが有効で、そうしてもタンパク質の損失は3パーセント以下であることを特記しておこう。
このチームはさらに、リンゴ抽出物、つまりペクチンに、ビタミン、カリウム、オリゴ糖類を添加したものを使った予防治療を創始した。24日間の治療をほぼ2ヶ月おきに、年に三回ないし四回すると、放射性セシウムがくっついていた場所から離れて、排出される。この治療は、一年間で、放射能汚染を35から85パーセント軽減する効果を上げている。」

投獄にも屈せず、被曝した人類に困難な状況の中での可能な対処法を示してくれるパンダジェフスキ教授から少しでも学んで、貧しい私もペクチン摂取を目的に、窯場周辺の果樹から夏には完熟梅のジャム、冬には完熟柚のジャム等をせっせと作って配っている。完熟梅ジャムは辰巳芳子さんのレシピで去年の夏は80キロ作った。
原爆投下後の広島で被爆者の治療にあたり内部被曝を研究している肥田舜太郎医師(98歳)は自身の体験から誰にでもできる内部被曝への対処法として御味噌の摂取を提案してくれている。
昨今、昆布や塩麹や御味噌やヨーグルトやペクチンというオーガニックのスローフードが注目されるのも、甲状腺を昆布の無害なヨウ素で日常から飽和状態にして、自己免疫力を高めようとすることがあるのだろう。
辰巳芳子さんは日本の在来種大豆を子供たちと育てる「大豆100粒運動」を実行している。

メルトスルー スピード測定法

穴窯を焚きはじめて3日目には火前が1300℃になる、4日目からは窯の一番奥、つまり焚き口から10メートル奥の一個の壷だけに焦点をあてて、ピンポイントで温度を上げていく。火前の温度はそのままロックして、最奥だけ温度を上げるという「伝説の焼成法」を、赤松の薪を、自然の風と、ロストルもないたったひとつの焚き口だけで焚いておこなう。

青磁色の自然釉を形成するために強還元で焼く、すると酸化炎焼成でのジェット機の爆音のような燃焼音が消え、窯が失速して墜落する危険がある。
下がった燃焼発熱量を蓄積量という考え方でカバーするために焼成日数が延びることと、薪が煤になって煙突から逃げるロスの為、薪の量も2倍必要になる、これが10昼夜赤松30トンで焼成する意味である。これ以上焚くと灰が来過ぎて最奥の壷の景色のメリハリが無くなる。

一度失速すると元の速度に戻るのにまるまる一昼夜以上かかったりするので余分の薪の準備も要る、高度な還元焼成を維持するには、灰が乗る優秀な陶土、窯の設計、窯詰め、高度な焼成技術、厳冬期に伐った肥えた赤松が必須条件になる。一旦失速してしまえば、その間、最奥の壷に灰は乗らない。
灰が融けるか融けないかの数度の温度帯でロック出来てはじめて白くかせた究極の自然釉になるはずの松薪の灰は白熱の最奥の壷の表面に熔着せず、空しく煙突から大空へと去ってゆく。
ビールやワインを飲みながら仲間で楽しく窯を焚く・・・という窯焚き風景に見えるが、メルトダウンや、突然生まれた台風が襲来して全滅したり、焚き口崩壊、水蒸気爆発による顔面焼成といったクライシスの歴史が私の命懸けのなりわいにもある。

煙道の壷が炎の風圧で融けて倒れてダンパー全開状態になってしまったことが分からず、暴走を始めた温度上昇を下げようと生木の薪を投入しても止まず、火前では、大壺が畳んだ提灯のようにつぶれ、肩の落ちた大壺が傾き、カーボランダムの棚板さえも曲がり、火前の色見穴から覗いても太陽のように青白く輝くだけで何も見えない。弱い須恵器の土の徳利はハンバーグのような姿で発泡し、縄文土器の土は融けたチョコレートような液体になって窯の床に敷いた硅砂を融かしつつ滲み込んでゆく。
これが、たったの1360℃(ゼーゲル12番が液体)でのことである。
窯の火前の34番の耐火煉瓦が融けるのがたったの1700℃。
つまり、1800℃で私の窯は耐火煉瓦もろとも液体になる。
それ以前の1360℃で水成岩由来の四万十帯の四万十町の大地は液体になる。

東京理科大では2011年3月14日の夜から翌朝にかけて福島原発事故由来のウランを含むホットパーティクルを発見したというニュースがあった。
茨城県筑波市で採集した塵を兵庫県の大型の放射光施設「スプリング8」で分析、見つかったホットパーティクルは放射性セシウムのほかウランや燃料棒の素材のジルコニウム、圧力容器の素材の鉄など原子炉の構造物が高温で融けた直後に急冷された直径2マイクロメートルほどのボール状をしていて・・・
(NHKと時事通信の報道)

原発事故由来のウランを含むホットパーティクルが見つかったということは圧力容器の中のものだから当然プルトニウムも含むことになる。
そしてアメリカのアーニー・ガンダーセン氏の調査などで福島、東京、名古屋、シアトルでプルトニウムを含むホットパーティクルが見つかっている・・・という記事をネットで見た、ホットパーティクルとはセラミックスである。
燃料棒に使用されている二酸化ウランの融点は2800℃、3月15日には沸点4682℃のモリブデンが発見されている。
たとえば原子炉格納容器が、地上最高融点のタングステン(融点3422℃)に次ぐ高価なタンタル(比重16.65と重いレアメタルで装甲貫通弾に最適だが、安価な劣化ウラン弾を対戦車に使用)で出来ていたとすると融点は3027℃で、論理の飛躍をあえてして、単純に考えて、福島第一原発原子炉格納容器の底がタンタルの金属板で出来ていたとして、それを溶融し、メルトスルーしたとすると、メルトスルーし、地下に融け出た高温の炉心融解塊の温度は3000℃以上ということになる。
そして、その核分裂反応が暴走を続け、6000℃の、光輝く73.6トンの超高温液化ウラン塊はその最高レベルの19.1という比重ゆえに大地を融かしつつ沈みはじめて、この二月で、四年ほどになる。

ここで沈む時速を計算してみよう・・・。
1000℃前後の、海水由来の水蒸気を含んだ、比重2.5以下の軽いマグマが冷えながら地中を浮かんで磐梯山火口までくるのと真逆の、人類初の現象を眼にすることになる。
地球上最重レベル19.1の比重というそれ自身の重みと3000℃以上という超高温で地中の比重2から3程度の地質を融かしながら地球の中心に向かって沈んでゆく。沈下した後には強烈な放射能を発する冷えたスラグあるいは溶岩のような太いチューブ状のものが残るのではないだろうか。
途中で地下水脈に当たれば大小の水蒸気爆発を起こし地層を破壊してゆくので、現実に原発直下の地震が小さな地下核実験の時のように大小無数に生じてゆくので、超精密な地震波トモグラフィーを使えば、その核燃料塊の位置の推移と挙動の三次元解析の詳細なデータが得られ、沈下のスピードが測定される。

これは「緊急復興支援の米軍とともに派遣されてきた地下核実験専門家のような特殊科学者チーム」にはもうすでに詳細が軍事機密として把握されているのではないだろうか。このような世界初の現象をみすみす見逃す原水爆専門家も政治家も科学者もいないだろう。

時速40メートルならば、2011年3月23日7時12分の福島浜通り、即ち福島第一原発地下8キロメートル(日本海溝の深さと同じ)の地点を震源とするマグニチュード6.0の地震と、同じ福島浜通り地下8キロメートルで起きた2011年4月11日17時17分前後の複数回のマグニチュード5.4から7.0の地震が、複数のメルトスルーがあれば説明出来そうに思う。
これは融けた燃料棒塊が、真珠のような玉鋼と同じように夾雑物を交えず、同質同温の地中を沈下する場合を考えた空想。

 

 

 

 

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