<終わりのない惨劇ーチェルノブイリの教訓から(ミシェル・フェルネクス他共著、緑風出版2012年3月刊行)>の76ページを読んでいて次のような記述があった。
「ホミュエリ(ベラルーシ)のゴメリ医科大学では、汚染地域から来た医学生の多くが、入学直後の心電図検査で異常を示していた。不幸なことだが、四年間の勉学が終わりになるころには、体の変調も重いものになっていることがあった。
体の組織のうちでもとりわけ、心臓の筋肉と導電組織とは、(再生能力が高い骨格筋細胞と違い、心筋細胞はほとんど分裂しないため)セシウム137の蓄積が多い。
この心筋萎縮症という病についてパンダジェフスキ(ゴメリ医科大学初代学長、病理解剖学)は、予防しなければならない、損傷が不可逆になる前に治療しなければ、と書いている。そして心臓だけでなく他の臓器もダメージを受けてゆく。」
私は、この個所を読んでいて唐津焼の中川自然坊という私の弟とほぼ同じ年齢の人気作家が2006年から心臓を病み、生きるには心臓移植しかない状況で、2011年に多臓器不全で58歳の若さで亡くなったことを思い出した。
まだ若いのに何故?という思いと、心臓と多臓器不全という陶芸家の死因としては聞いた事の無い言葉に違和感を覚え、その「なんだ?」という印象はなかなか消えなかった。
さらに176ページで「原子力発電所は放射性核種を合法的に大気中に放出している。
その中で特に問題なのは沃素同位体、ニッケル同位体、コバルト同位体、セシウム同位体であり、さらにアメリシウム、クリプトン、炭素14がある。さらにトリチュウムがあり、これはミトコンドリアに変異を引き起こして癌を促進するとも言われている。
原発からは排水に混ざって水溶性の放射性廃棄物もまた、合法的に放出されている。こうしたもののそれぞれの線量は確かにごく僅かなものではあるが、何度も繰り返して、一年中放出され続けているのだ。」という記述があった。
ここで合法的ということと、医学的に健康に害がないということは関係ない。原発の構造が個体の使用済み核燃料以外はとどめるようになっていないだけのことだ。
中川自然坊の窯は佐賀県東松浦郡玄海町にあり、玄海町には玄海原子力発電所がある。
九州電力で最大の発電所であり、九州7県で使用される電力供給量の3割以上を発電する。
「現在、稼働している原発の多くは100万キロワット級といわれるものだが、広島原爆1個を8時間かけて燃やし(核分裂させる)ていることになる。つまり、一日3発分の広島原爆(ウラニウム=U)を燃やし、そのエネルギーで電気を起こしているのが原発なのだ。」
<かもがわ出版、被爆者医療から見た原発事故ー被爆者2000人を診療した医師の警鐘、2011年8月出版、郷地秀夫著>
チェルノブイリ原発事故でも運転当直主任が危険と判断して自動防護用ボタンを押してから、たったの18秒後に燃料棒集合体が爆発している。
私の窯場が立地する四万十町は2006年の合併前までは窪川町という名称で、1975年から極めて激しいリコール住民投票という「窪川原発闘争」が始まり1986年にチェルノブイリ原発事故が起こりその翌年に原発建設計画は立ち消えになった。
原発闘争の真最中から町議会のテレビ収録が始まり、今でも町議会では、町長をはじめ、どの議員がどういう発言をするのかは町民が強い関心を持ってケーブルテレビを見ている。
私の1978年の窪川町での独立開窯から10年間、窪川原発闘争は続いた。
大学時代も学園闘争の渦のなかで制作し、帰高したら、こんどは原発闘争の渦のなかで制作したことになる。
激しい住民闘争5年目,1979年に起きたレベル5のスリーマイル島原発事故と、11年目の1986年に起きたレベル7(最悪レベル、福島も7)のチェルノブイリ原発事故がなければ玄海町と同じことになっていたろう。
それにしても原発推進側の圧倒的な金と権力には「なぜにここまでのことができるのだ?」と思い続けた。
その答えは<終わりのない惨劇>102ページにあった。
「私(ロザリー・バーテル)の考えでは、1954年は別の意味でも大きな転換点でした。水素爆弾の実験が始めて成功(軍事の立場から見てという意味ですが)したのが1954年です。水爆によって、原爆の爆発にさらに、限りない火の力が加わったのです。広島や長崎で使われた形式の原爆では、火の力は限られていました。水爆の場合は違います。ですから、西側の列強、特にアメリカが戦略ドクトリンの中核に原水爆を据えることを決定したのが、この1954年なのです。
商用、あるいは自称「平和利用」の、原子力プログラムが実施に移されるのがこの時代です。それによって、北アメリカの隅から隅までを一つの巨大な爆弾製造工場として編成することになりました。ウラニウム鉱山、濃縮工場などだけでなく、物理学や原子力技術を教育する大学なども共犯関係に入っていきます。民間の協力を確かなものにする必要がありました。
国際放射線防護委員会(ICRP)が組織されるのもこの時期です。
核兵器の機密の只中に誕生したこの組織は、誕生の瞬間から既に、国家機密の中に浸っていました。
男性ばかり13人の委員会です。(1990年にはじめて女性が加わりました。)
いろいろな定義を練り上げるのも、決定を下すのも、この13人なのです。
(私たち日本人としては、この13人の中に1990年以降、重松逸造が加わっていたことを知っておくべきであろう。国際原子力機関IAEAのチェルノブイリ事故調査に際して委員長を務め、犠牲者たちへの放射能の影響を否定する先頭に立ったこの医師は、スモン病、イタイイタイ病、などでも常に加害者の擁護役として登場し、政治的な動きをした。)
メンバーを補充する時の人選も、委員会自身がするので、自足的な継続をしていきます。
放射線防護基準の勧告を検討して決めるのもこの人たちです。その数値がすべての国々によって採用されるのですし、国際原子力機関IAEAが適用する様々な規則も、この基準をベースにしています。
アルベルト・シュバイツアー博士は1958年、「誰が、彼等(ICRP)に許容することを、許したのか!」と憤ったという。
チェルノブイリに際して国際原子力機関IAEAはこの国際放射線防護委員会ICRPの基準をたいへん冷酷な形で適用したのですし、それ以外のたくさんの様々な場合にもそうでした。
ICRPの文書を研究するのはたいへん重要なことです。
1990年版の勧告に被曝の「一時的な」影響のことが書いてあるのを読んで、衝撃を受けました。そうした影響はたいして重大でもないし、保障(補償の誤訳か?)も認定も必要ないと言っています。しかしこれがまさに、人々を苦しめている当の問題で、世界中に周知させる必要がある問題なのです。」
あくまで私見として、この本を読んでいて私が思う事は国連の下部組織である世界保健機関WHOは、同じ国連の下部組織である「全世界の平和、健康、繁栄のために、原子力エネルギーの貢献を加速し増進する」国際原子力機関IAEAへの従属を定めた協定があるので、WHOはただのひとりも福島に入って被曝研究救援活動ができていない。
これもあくまで私見であるが、福島原発事故の場合、IAEAの事故対処マニュアルに沿って、最初から瞬時に把握されていた最悪レベル7のメルトダウン、核爆発も水素爆発と発表され、文部科学省はスピーディを公開せず、児童生徒たちの年間被曝許容量も原子炉労働者並の20ミリシーベルトに引き上げ、流通する食品の暫定基準値は逆に引き下げ安全性を強調し、野田総理が福島原発事故は終息したと発言し、続く安倍総理がアンダーコントロール発言をし、そしてさらに堂々と、トルコやブラジルやベトナムという第三世界への原子炉セールス活動へ出発する。そして誰が見ても穏当な人気漫画「美味しんぼ」を、見せしめのために「風評被害」の大騒ぎでやり玉に上げる。
原発が動かなくとも停電は起きてないのに、この期に及んでさらに再稼働させようとする。
この一連の流れに、怒りを禁じ得ない。これは私だけでなく、世界中のみんなが、心に思っていることだ。
この<終わりのない惨劇>を読んで、モヤモヤが晴れた。
東電も自民党も各大学の御用学者も御用医者も産業界もメディアも(解雇あるいは投獄、暗殺までを覚悟して、あえて信念を貫く勇気ある人々を除いて)、IAEAとその上部構造であるICRPの13人からの指示と支持があるので、狂妄とも言うべき、かつ、チェルノブイリの教訓を何も学ばない、かつ、未来に生まれてくる人類にも酷い被爆者棄民マニュアルを実行出来たのだろう。
逆にいえば獣のような「強イモノ勝チ」という「強者の論理」が鮮明に大露呈された時代に我々は遭遇している。
3.11からの人類への教訓があるとすれば、地球霊王の前では地球を汚染する人類の「強者の論理」が無力で通じない、アメリカの戦略ドクトリンも13人で構成されるICRPも国連のIEAEも水爆弾頭も原爆弾頭も劣化ウラン弾も原発もその毒は人類に返ってきて自滅させられる。
<チェルノブイリ人民法廷(緑風出版 2013年2月出版 ソランジュ・フェルネクス編)>を読むと今年2015年にはWHOの支部ではなくIAEAの支部が福島にできるそうな・・・。
ドイツでは体全体の放射能汚染(体内被曝)を測定してくれるが、日本では日本政府と医師会が禁じている。
もし病院で自分の内部被曝の検査が出来ても、自分の体の被曝詳細データは煩雑な情報開示請求をしないと得られない。
データはアメリカのABCCが広島、長崎の被爆者に行ったと同じように、IAEAの極秘統計資料として独占され、モルモットの日本国民には秘密にされている。
ちなみに、現在(2009年から)、IAEAの事務局長は、なんと日本人で、天野之弥。
(あまのゆきや 67才、2005年・2006年 IAEA理事会議長を務める)天野之弥は3.11後も「原発推進」を明確に表明している。
これも私見であるが、広島、長崎の被爆者に対してアメリカの原爆傷害調査委員会ABCCが「検査はするが治療はしなかった」ように、国連の国際原子力機関IAEAは被曝を認めず、放射能防護基準作成に必要な統計を取るための検査はするが、被曝と賠償を認めることになる治療はしないのだろう。
チェルノブイリでは事故から4年か5年経ったころから急に14歳以下の子供達の甲状腺がんが増えた、福島でもちょうど今年あたりから子供達の甲状腺癌が増え出すことから被曝隠蔽対策がIAEA福島支部設立の目的だろう。
そうしているうちにも、あと3年で福島原発からの汚染水は地球の海をくまなく一周する・・・。 真実をつきつけられる。
アメリカは2013年に日本の14県からの農産品を輸入停止にしている。(2011年は8県)
ABCCもICRPもIAEAも同じなので、我々は70年前の広島、長崎の被爆者が拡大されたような同じ立場に居る。
原発再稼働阻止はもちろん急務だが、内部被曝の危険を少しでも避けることはできないのだろうか。
食品からの内部被曝への対処法については、<終わりのない惨劇>74ページ。
「パンダジェフスキ教授のデータによれば、セシウム137の、体重1キログラム当たり50ベクレルを越す蓄積は、何らかの組織と生体器官の変質を誘発する。
そこでベルラド研究所は家庭を教育して、いちばん危険に曝されている子供たちの体から、汚染を減らそうとする。
基本的に食物からくる汚染である。だから食べ物を選べばよいが、それには金がかかる。
危ない部分を除去するとか、下処理をしてから調理することになる。
牛乳は遠心分離するのが有効で、そうしてもタンパク質の損失は3パーセント以下であることを特記しておこう。
このチームはさらに、リンゴ抽出物、つまりペクチンに、ビタミン、カリウム、オリゴ糖類を添加したものを使った予防治療を創始した。24日間の治療をほぼ2ヶ月おきに、年に三回ないし四回すると、放射性セシウムがくっついていた場所から離れて、排出される。この治療は、一年間で、放射能汚染を35から85パーセント軽減する効果を上げている。」
投獄にも屈せず、被曝した人類に困難な状況の中での可能な対処法を示してくれるパンダジェフスキ教授から少しでも学んで、貧しい私もペクチン摂取を目的に、窯場周辺の果樹から夏には完熟梅のジャム、冬には完熟柚のジャム等をせっせと作って配っている。完熟梅ジャムは辰巳芳子さんのレシピで去年の夏は80キロ作った。
原爆投下後の広島で被爆者の治療にあたり内部被曝を研究している肥田舜太郎医師(98歳)は自身の体験から誰にでもできる内部被曝への対処法として御味噌の摂取を提案してくれている。
昨今、昆布や塩麹や御味噌やヨーグルトやペクチンというオーガニックのスローフードが注目されるのも、甲状腺を昆布の無害なヨウ素で日常から飽和状態にして、自己免疫力を高めようとすることがあるのだろう。
辰巳芳子さんは日本の在来種大豆を子供たちと育てる「大豆100粒運動」を実行している。
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