自 然 釉 の 宇 宙 展
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祝 高速道路開通  穴窯で赤松30トン、10昼夜の焼成。

期間:2015年 4 26日(日)〜5 13日(水) 時間:AM 9:00〜PM 5:00 *定休日なし
会場:ギャラリー 龍窯
   〒786-0097 高知県高岡郡四万十町日野地326
  <ギャラリー龍窯 地図>
   Tel&Fax/0880-23-0054
   作家携帯/090-4506-0572
   ● 龍馬空港からギャラリー龍窯まで 車で1時間半。
     四万十町中央ICより 車で25分、松葉川温泉 手前1kmに看板あり。

 




寒椿、梅、クリスマスローズ、水仙、レンギョウと
いろいろな花が咲く春爛漫である。
メジロもツグミもヒヨドリも
庭先の刺し餌のミカンと吊るし柿に飛来し、ウグイスも鳴く。
慣れているはずなのに、地球は甘美であるとしみじみ思う。

宇宙も地球も進化する。
いろいろなこともふくめて進化であると思う。
今回は宇宙人の視点で企画しました。

ケプラー22b 移住計画

1:神殿が先行する

2013年の12月頃だったか、「世界不思議発見」というテレビ番組を家族と見ていて、トルコの1万1600年前のギョベックリ・テペ遺跡が紹介され、驚いた。
世界最古の神殿遺跡が、なんと氷河時代に出現するのである。
農耕牧畜以前の、狩猟採集の時代に、高度な彫刻の施された巨石神殿が存在する。
まさに歴史学というものの、現代のコペルニクス的どんでん返しである。
他の分野と同じく、これで人類学でも最初の基礎がゆらぐ。
グリーンランドと南極の氷床コアの花粉分析から、今から80万年前までの気候変動の詳細がわかるようになってきた。
氷河期は4万年から10万年周期で繰り返されている、間氷期はほぼ1万年。
今回の最終氷期は7万年前に始まり1万年前に終わる。
暖かくなり、氷河が溶け、海面が100メートルほども上昇し、夜明けのように稲も麦もヤギも牛も馬も豚も野生種から生まれ、細々と始まる農耕牧畜が人類の人口増加をもたらした。
そして5000年前頃からようやく都市や国家が生まれ、「メソポタミア、エジプト、インダス、黄河という世界の四大文明」が生まれ、ジッグラトやピラミッドのような巨大神殿が建設され、王や神官が神に祈りを捧げる宗教が生まれた・・・という2500年前にギリシャのヘロドトスから発祥する現代の歴史学が覆る。
このギョベックリ・テペ遺跡の発見で、最初から、原始人とされていた氷河時代から神殿が存在することになる。

2:我々 ホモ・サピエンスの20万年

そもそも我々現世人類(ホモ・サピエンス、同時代の旧人類ネアンデルタール人とも一部混血)は20万年前に南東アフリカで生まれ、10万年前には中東に、スンダ大陸(今の東南アジア、スマトラ、ジャワ、ボルネオ)から島々を伝って延長90キロの海を渡って、5万年前にはサフル大陸(今のオーストラリアとニューギニア)に、そして4万年前にはヨーロッパに、そして2万5000年前にはマンモスを追ってシベリアのツンドラ地方に達する。
2万年前頃にはバイカル地方、中国東北部を経て朝鮮半島と日本というユーラシア大陸東端に到達する。
1万5000年前には陸橋となっていたベリンジア(今のベーリング海峡)を通って北アメリカに渡る。
そして1万3000年前にはマストドンを追って南米のチリまで到達する。
2万3000年前にはアフリカから海流に乗ってブラジルに渡っている。

3:氷河時代の我々は、石槍でマンモス、ナウマン象、マストドンを狩る

2万7000年前のチェコ共和国のドルニ・ベストニーチェ遺跡の小屋は地下1メートルの縦穴住居で壁は木柱で囲まれ獣皮で覆われていた。
寒すぎて樹木がなかなか育たない草原という氷河時代の環境なので、住居内の炉の燃料はマンモスの骨。
私は「はたして骨は薪のように燃えるのか?」という疑問を抱き、解体した鹿の骨を集めて焚き火をした。
骨と骨髄の濃厚な脂肪分が滲み出て、いつもの焼き肉の臭いとともに薪のように燃えた、当然ながらマンモスの皮下脂肪も燃える。マンモスの骨でマンモスの肉を焼くという発想である。わたしもこんなマンモス料理は食べてみたいと思う。

1万5000年前のウクライナのメジーリク遺跡では、マンモスの牙と骨(象牙1本の重さ200キロ、頭蓋骨1個100キログラムでとんでもなく重い)で住居がつくられている、屋根には獣皮か植物をかぶせていたらしい。
彼等はマンモス、バイソン、野生馬、トナカイを狩って食べていた。
最大住居は46個の頭蓋骨、95個の下顎骨、40本の象牙で出来ていた。なんと総重量20トン、これはマンモスを祭る神殿ではなかろうかと思ってしまう。
1万2000年前までは北米からメキシコにかけてマンモスもマストドンも生息していて、アメリカ先住民は冬の凍土にマンモスの肉だけを積んでその上に骨と頭骨を載せ冷凍貯蔵している、食料の豊かな暖かい春になれば食べ残しは自然に腐ったという。
1万5000年前までは大陸と陸続きだった日本にもナウマン象がいた。
瀬戸内海は当時は草原でナウマン象が多く生息していたし、わが高知県の佐川町にもナウマン象はいた。
ここで冒頭の1万1600年前のトルコのギョベックリ遺跡の「世界最古の巨石神殿遺跡」の時代となる。

4:温暖な間氷期

1万年前頃に氷河期が終わる、100メートルの海面上昇で東南アジアの広大なスンダ大陸も水没、日本もユーラシア大陸から切り離される。
氷河期でも比較的暖かかった赤道帯の沿岸文明は海面下に沈む。
氷河期の標高の低い地域の文明は水没したため謎のままであるが、手がかりになる遺跡もある。
1万1600年前のギョベックリ遺跡と同じトルコの、アナトリア地方(世界遺産のカッパドキアがある)に、9500年前の「世界最古の都市遺跡」のチャタル・フユック遺跡が存在する。
この遺跡は驚くべき文化水準で、規格化された泥煉瓦で造られた住居群の復元図をみると、密集した家々の平屋根が通路の役割を果たし、木材の梁で支えた天井に設けられた出入り口から梯子で屋内に出入りする構造である。
辰砂(硫化水銀、日本では丹)という赤色顔料をすでに使っていて、壁や天井はきれいに漆喰が塗られ、天井には現代的な幾何学模様が描かれている。
私も住んでみたいような、現代と、さして変わらない建築空間である。
出入り口が天井にあり、梯子で出入りするのは、周辺に生息していたライオンの襲撃から身を守るためと言われている。

ここで、私は、家の平坦な屋上に入口があるのは、同じトルコのアララト山に漂着したノアの箱船の天窓のなごりではないかと思う。ノアの洪水は、1万3000年前に他の地域では氷河が溶けて海面が100メートル上昇したのに、シベリアとアラスカが一瞬で凍結した頃の物語だと思う。
シベリアとアラスカのマンモスは立ったまま火山灰と氷塊に埋没し、食道と胃の中にはキンポウゲの花が未消化で存在、ペニスは勃起したまま・・・永久凍土に凍結されていた。
この現象が物語るものは、マンモスが、野生馬やライオンとともに4月、5月のここ四万十町のような陽気のシベリアの草原で青草やキンポウゲの花を食べていて、突然マイナス50℃という寒気を吸い込み、肺が凍結し、凍死した・・・ペニスの勃起がこの証拠だという。そして吹き飛んで来た果樹やサーベルタイガーやカバや人間や石器とともに黒い火山灰と氷塊に埋まり、永久凍土に冷凍保存された。そして1万3000年ぶりに、この温暖化で、我々が、マンモスのステーキとして食べることが可能な状態で出土した・・・という物語である。
こう考えればチェコのドルニ・ベストニーチェ遺跡やウクライナのメジーリク遺跡のように、屋根に獣皮を張っただけの、寒さをとてもしのげない彼等の住居が理解できるし、一瞬でカナダのハドソン湾から今の北極点へと移動したポールシフトの仮説も分かる気がする。
そして、6万年間続いた最終氷河期のように、現在北極の磁極はグリーンランド近辺に在り、3.11で地軸が変わり、一年間に56キロの猛スピードでシベリアに移動している。
1万3000年以前のように、シベリアとアラスカが温暖な地域になっているも分かる。

5:チャタル・フユック遺跡と同時代の高知県の刈谷我野遺跡

舞台は日本、9000年前から7300年前にかけての縄文早期、高知県香美市の物部川の河岸段丘にある刈谷我野遺跡が今のところ
「縄文早期の中四国最大の定住跡遺跡」である。
その発掘調査報告書から復元した、「厚4ミリの内外両面押し型文尖底土器」が下の砲弾型の11点の土器。

◎ 8000年前の800℃の世界での尖底セラミック文化の復元


現代にも通用する優れたデザインだと思う。
チャタル・フユック遺跡の天井絵のデザインと共通する現代アートを感じてしまう。
この厚さ4ミリの内外両面押し型文尖底土器は、通常の手びねりという制作方法では不可能で、まず模様を刻んだ細い円筒状の原体と、砲弾型の木型と、木型にかぶせる紙、すなわち鹿やイノシシや熊の膀胱を加工してニカワで貼り合わせた薄いビニールのような「紙?」の存在が前提になる。
これらがあるだけで小学生でもたった20分で制作できてしまう。
この小学生でも20分という超短時間が高度な文化レベルを証明する。
この時代特有の繊維土器(胎土に獣毛や植物繊維を混ぜ込む)の意味は、木型に粘土板を巻きつけ押し型文を施文して、一定の乾燥強度を待って木型を抜くプロセスで起きやすい乾燥収縮による切れを防ぐ為である。原体という押し型文ローラーでの器体の圧延拡大は乾燥収縮を合理的に相殺する。

手びねりひも作りという普通の土器制作では、数時間から数十時間かかるし、厚4ミリの両面施文は不可能である。
陶芸で、粘土に塩を混入することはあってもイノシシの毛のような繊維を混入する必要性が発生することはない。
縄文人が、煮炊きする土器に繊維をいれなければならないほどの腰の弱い胎土を選ぶことはないし、野焼きの800℃前後は火山灰質粘土でも磁器化する温度帯ではなく、土器強度は胎土乾燥強度とそんなに変わらないので、腰の弱い粘土で土器を焼いても煮炊きする使用強度と耐久性が無い。当時、丸木舟をくりぬく技術があるのだから木型は簡単にできる。
<追補>
鹿の膀胱は、中の尿を出し、洗い、息を吹き込んで白い風船のようにふくらませ糸でくくって軒下につるす。
白いゴム風船のような膀胱は真冬の寒風に揺れ、乾燥するにつれ、もともと2ミリほどの厚さであったものが0.3ミリほどの薄いトレーシングペーパーでできたカサカサの風船のようになる。

6:刈谷我野の尖底土器アーティスト達は火山灰から逃れるために海を渡って移住した?

1996年にアメリカとカナダの境、太平洋に注ぐコロンビア川の土手から発見され、あまりに保存状態が良いので発見当初は殺人事件として大騒ぎになり、土地の名からケネウィック人と名付けられた人骨がある。
結局、8400年前の日本の縄文人と鑑定された。アメリカの冒険家がこの事実を立証しようとアウトリガーカヤックで北海道の根室から千島烈島伝いにソ連崩壊後のカムチャッカ半島を経てアラスカの海沿いに北アメリカ大陸まで到達した冒険記録「縄文人は太平洋を渡ったか:カヤック3000マイル航海記」(ジョン・ターク著/青土社)がある。
また2014年に千葉県市川市の雷下遺跡から7500年前(縄文早期)にムクノキで造られた日本最古の丸木舟の舟底部分が出土したという報道があった。
5000年前の青森県、山内丸山遺跡からは直径1メートルの栗の6本柱の高楼とモデュールのある立派なロングハウスがあり、体長1メートルの真鯛の骨と釣り針、銛、オールが出土していることから、高度な文化があり、立派に外洋を航行できる丸木舟で外洋に出て魚をとっていたことが分かっている。

砲弾型の尖底土器の時代は、氷河時代の1万6000年前(1万9000年前という新発見もある)から8000年間以上続き、驚くべきことに縄文早期が終わる歴史時代区分指標の7300年前のアカホヤ火山灰の降下で、まるでリセットボタンを押されたように日本中で終わる。
この噴火はVEL6から7といわれ、四国の縄文人は絶滅したといわれている。
次の縄文前期には縄文海進と呼ばれる4メートルから5メートルの海面上昇が起る、現在の東京都や高知市は海面下である。
その後も火山灰の後遺症か、縄文後期まで西日本と東日本を比較した場合、縄文人の人口と土器文化は東高西低の傾向が続く。
日本中の尖底土器文化は滅び、平底縄文土器の時代が始まる。
尖底という様式はやはり世界でも滅びたが、押し型文デザインの系譜は、押し型文の原体そっくりのメソポタミア文明の円筒印章、南太平洋の謎のラピュタ土器や現代南アフリカ、カラハリ砂漠のブッシュマンの土器にも見られる。

私としてはこのわずかな事実から論理の飛躍をあえてして、刈谷我野の彼等は物部川中流域から川を下り、物部川河口からアウトリガーカヌーに分乗して太平洋に漕ぎ出し、陸伝いに漕ぎ、上陸して野営しながら火山灰に向かって南下したと空想したい。
足摺岬を回り北上、豊後水道を通り、下関海峡を抜け、日本海に出て、壱岐の島、対馬を伝って朝鮮半島に渡りシルクロードに向かったと空想している、ホモサピエンスの遍路回りでいえば逆打ちである。
途中、30センチも積もった火山灰に覆われ枯れてゆく四国山脈の灰色の森を右手に眺め、大津波にえぐられた無残な海岸線を縫った航行だったろう。津波に洗われた岩場には貝も海藻も無く、降り続く火山灰で日照が遮られ寒くなった異常気象で、植物の枯れつつある陸地には昆虫も鳥も動物も居ず、外洋から回遊してくる海の魚だけが食料だったろう。
西日本の無人状態はその後1000年続いたという仮説もある。

「龍窯(日本では穴窯)」を伝えた百済の皇子、天の日槍(あまのひほこ)の伝説がある。
若狭湾に上陸したとき、同行のシャーマンが「南に大きな湖(琵琶湖)がある、その南(泉すえむら)に行け。」と告げたとされる。そこが現在の堺市の陶器であり須恵器すなわち陶器発祥の地である。
刈谷我野族の脱出行にも遥かな須恵器粘土鉱床を霊視したようなシャーマンの存在を空想したい。
おそらくそのシャーマンを祭っているのが「陶器神社」であろう。
古代の航海は、海流と季節風や貿易風の蛇行強弱はあるにしろ、ハイエルダールのバルサ丸太の筏「コンチキ号」や、1500年前からの古代式双胴大型カヌー「ホクレア号」、ペルシャのダウ船、あるいは古代エジプトの「太陽の舟」の航海のように数千年間さして変わっていないと思う。
スンダ大陸が水没してから2000年も経っているので、スンダ大陸を追われ、黒潮に乗って足摺岬に流れ着いたスンダ人も居ただろうし、さらにユーラシア大陸と行き来して交易する海洋航海の技術を高知県の縄文人が持っていたと考えてもおかしくない。
8000年前の日本列島の縄文人総人口は2万人という仮説もあり、現在の日本の人口1億2700万人からみると、あまりにも少ないので絶句してしまう。もしそうであれば当時の高知県民は500人ぐらいで、刈谷我野一帯の集団は30人ほどか、シャーマン特有のなにかを持たないと生き残れない厳しい環境を思う。そう思わせるほどの知的レベルを彼等の土器から感じる。

アカホヤ火山灰は九州の南方海上約100キロにあった巨大海底火山が大規模水蒸気爆発を起こし、直径約20キロの巨大カルデラを形成する過程で西日本を中心に降り積もったもので、巨大カルデラの先端が海上に突き出たのが現在の喜界島や竹島である。
高知県沿岸には凄い津波が来たことだろう。
このアカホヤ火山灰はここ四万十町にもオレンジ色の地層として普通に見られる。
地形の法則どうり、さらにその下には2万9000年前から2万6000年前頃のチョコレート色のAT火山灰の層がある。
このチョコレート色の地層は鹿児島の桜島のすぐ北東にあった火山が大規模水蒸気爆発で吹き飛んで錦江湾が出来た際の火山灰で、その噴火の規模は火山灰層の厚さからして喜界カルデラの比ではない。
この2万6000年前という、同じ頃に古富士山も形成されたという年代では、ユーラシア大陸の東端の日本には我々ホモ・サピエンスは未だ到達していず、我々ホモ・サピエンスと同じ20万年前に生まれた旧人類ネアンデルタール人は絶滅して地球上からいなくなっているので原人は別にして、無人地帯での超激甚災害である。

長々と前置きを書いたが、これから核心に向かう。
今も噴火を続ける桜島のすぐふもとにある川内(せんだい)原発がまっさきに再稼働し、次は伊方原発だというが、日本列島が明らかに火山活動期に入った今、こういうわずか7300年前の喜界カルデラや2万6000年前の錦江湾火山の歴史的大噴火を失念してはいけない。
また、かつて窪川原発の計画された興津は「興津ドーム」として知られ、この40万年前から続く山塊隆起が原因で興津沖に河口に持つ2本の古四万十川が太平洋への流出を阻まれ今のJR窪川駅のあたりに湖が出来、はては江川崎まで北へ逆流し、江川崎までの山々の間を堰を切るように抜いて開通してしまう、そして江川崎を源流に遥か西の中村を河口に持つ川と合体、全長196キロという四国最長の四万十川になったのである。
マグマの上の川内原発、中央構造線上の伊方原発、興津山塊隆起の窪川原発とをみても、何故に、原発は最悪の立地条件の上に計画されるのだろうと驚く。
壮大な地球の営みのまえに人類は怖れを知らねばならぬとおもう。
火山は破壊と創造の神である。創造の恵みの神としては、その火山灰が稲作の田の土と成り土器の粘土と成った。
火山灰無くしては米も土器も作ることは出来ない。
鹿児島の錦江湾からのAT火山灰泥を2万数千年間寝かせて粘土に熟成したものを、縄文人と同じく、私は縄文土器の粘土として使っている。

7:余談の続き 我々ホモサピエンスの系統死を回避するために核から手を引こう

火山灰のように、杉の花粉が空から大量に降ってくる時代になった。
この3月11日で東北大震災からちょうど4年になる、2011年3月20日、21日には福島上空のブルーム(放射性雲)が放射性セシウム137と134の濃度が1立方メートルあたり104.1ベクレルという最大線量(3月15日は45.5ベクレル)を記録、そのブルームが風向きで茨城県南部や千葉県北東部、東京湾北東沿岸部に帯状に移動、2011年3月21日~24日の雨(埼玉県の降雨記録)で関東一円に黄色い雨が降ったという。
気象庁は一般からの問い合わせに花粉と発表したが、花粉だけではなく、黄色い酸化ウランや酸化プルトニウムで、現在のホットスポットが生まれた主たる原因ではないか・・・というネット上で不安を訴える人々の問いかけが、いまだに私の心には引っかかったままで、そして現在、地球上で約430基もの原子炉が稼働中という現実もあるので書く。

今から約30年前の春、1986年4月26日午前1時23分(モスクワ時間)に核爆発したチェルノブイリ原発周辺の村々でも、楽しいはずの春のまっさかりで、当初は黄色い雨は花粉であるとソ連政府は発表した。
今「子どもたちのチェルノブイリ」(監修 河上雅夫/梓書院刊)が手許にある。
子ども達の悲しい被曝体験が記録されているなかに、チェルノブイリ原子炉核爆発事故直後の描写に次のような表現がある。
「(雨に濡れたあと)私たちの服と靴に緑色の何かがびっしりとついている。」(P23)
「ある日、雨の後、草や花を何か鮮やかな白いものが覆っていました。姉がわたしを呼び、『見てごらん、銀の雨よ』と言いました。その日は暖かかったので、姉は袖なしの胸の開いたワンピースを着ていました。2年後、姉は乳腺ガンで死にました。死の直前まで、彼女は、両親に病名を隠し続けました。」(P74)
「朝、わたしはたまらなくのどがかわいて外に出た。家々や木々や土などまわり一面、すべてのものは、灰色の薄い層に覆われていた。戦争が始まったのかと思った。」(P149)
広島の民家の壁裏(原爆後の増築により白漆喰壁のまま保存)に残されていた墨汁のような黒い雨の跡の成分分析の結果は、炭素、ケイ素、鉄、原爆由来のウラン、セシウム137。
ウランは空気中では黄色で、水に溶けると緑色、セシウムは黄色がかった銀色、ストロンチュウムは銀白色で空気中では表面が黄味をおびる。
プルトニュウムは銀色で空気中では黄褐色。要するに危険な放射性物質は空気中では銀色か黄色か黄褐色か緑色になるということ。燃料ペレット被覆管に使われるジルコニウムは銀白色。

核爆発は、火球の中のすべての物質、人間も建築資材もなにもかもを気化、プラズマ化させる。
福島第一原発の3号機(プルサーマル)は2011年3月14日午前11時1分に、使用済み核燃料(MOX燃料566体)が入った使用済み燃料プールのプールの水が蒸発して、4000℃ほどになる核爆発を起こし燃料棒が吹き飛んだ結果、沸点3228℃のプルトニュウム飛散が起ったという説がネット上にある、政府発表には「3号機爆発」とあるだけ、3月15日には沸点4682℃のモリブデンが発見されている。
前回の新春展個展フライヤーでも書いたが、東京理科大だけでなく、シアトルでプルトニュウムを含むホットパーティクルを発見したフェアウィンズ・アソシエーツのアーニー・ガンダーセン氏がいちはやくこの核爆発、メルトダウンのことを科学的に分かりやすく説明してくれている。
黄色い雨の原因かもしれない2011年3月20日〜24日の福島第一原発から発生した最高線量ブルームの発生源のひとつとしては、3号機(プルサーマル)への注水量が激減、「炉心で露出したMOX燃料が再溶融した」という可能性の指摘がある。 <田辺文也氏>

8:吉田調書の黒塗り

黄色い雨の件ともうひとつ心に引っかかったのは、2014年9月12日になってやっと公開された吉田調書である。
いよいよ公開された原因究明の総括だと期待したのにかかわらず、同じ紙面に枝野幸男元官房長官が抗議のコメントを寄せていて「私が求めた何倍もの黒塗りが政府によってなされている。10倍以上じゃないか、全く想像を超えていて、大変がくぜんとした・・・。」という記事に驚いた。
これはいったいどうしたことだろうと思い、新聞記事を精読した。
確かに吉田調書では多くが抜けているとは感じるが何処がどう抜けているのか読んでも分からなかった。仕方が無いので時間軸にいろいろ書き込みながら、ネット上の真偽の分からない情報をいちいち吟味しつつ、吉田調書とつきあわせながら考えた。

ネット上でアメリカ原子力規制委員会(NRC)内部で交わされたメールが公開されているが、3月16日の時点で、4号機の使用済み燃料プールの核爆発に備えてアメリカがタスクフォースを組み、日本に向けての特別チームが編成されていたことがわかっている。あの3月11日の夜、黒塗りの高級車が続々と東名を南下したことが目撃されている。
そしてその後もずっと世界の原子力専門家の間では、たとえ福島第一原発の1号機、2号機、3号機すべてが爆発したとしても、日本人全体に対する大きな脅威とはなりえない、しかし4号機は違うとみられていた。

4号機の使用済み核燃料が収納されていた使用済み核燃料プール(2014年12月に取り出し終了)が問題とガンダーセン氏は言っていた、危険な満杯状態の1535本のうち、持って行き場の無い定期点検中の原子炉から取り出された熱い新燃料204本が一緒に入っていることが「日本人全体に対する大きな脅威」の原因ということらしい。
私には、ここで何故、燃料棒が原子炉格納容器から全部とりだされた定期点検中の、空っぽの、稼働していないはずの4号機原子炉が何故3月15日午前6時14分頃に爆発したのか?という素朴な疑問が起る。
吉田調書では15日午前6時14分頃には2号機の格納容器が衝撃音とともに破壊されたことになっている、ほぼ同時に起きたはずの4号機爆発あるいは火災の記述は全編にかけて全く無い。
「東京電力は、火災が発生している福島第一原発の4号機の消火作業に米軍が従事していると発表した。鎮火したもよう。」(朝日新聞)いろいろな局面で朝日はしっかり報道している。米軍が出動したのは4号機だけである。

3月15日午前6時14分にはもう明るい、それなのに4号機が爆発した瞬間の映像あるいは火災の映像がニュースで全く流れていない。1号機の水素爆発も3号機の核爆発も爆発の瞬間の映像がニュースで何度も何度も流れている。
吉田調書には[退避問題]の章で「その時はまだ4号機(爆発)の話ははいってませんから」と記述されているだけ、2号機メルトダウンとほとんど同時に起きた4号機の爆発の状況に関して何も記述がない、つまり、あったであろう部分が黒塗りされて公開されていない。他にはただ一カ所[2号機の危機]の章で4号機の活字のあとに(2号機の誤り)とあるだけ。

国会事故調査委員会の10人の委員の一人で福島第一原発4号機の圧力容器を設計した田中三彦氏の解説がネット上にあった。
田中三彦氏は「4号機使用済み燃料プールの冷却の為の(アメリカ軍による)非常措置、建屋の爆破『解体』である。」と言っている。
しかし、最も危険な使用済み燃料プールが3階に存在する建て屋が、傾くほどの、「使用済み燃料プール冷却のための建て屋の爆破『解体』」とは一体何だろう、爆破エネルギーの計算ミスで爆発が強すぎたのだろうか、これでは憶測を呼んでも仕方が無い。ドイツ製の高所注水車が真っ先に向かったのも4号機。
自衛隊航空機からの熱源探査写真等から圧力容器の黄色の鋼鉄製カバーがはずされた圧力容器内の高温がネット上で確認されているので(これも疑えばきりがないが)、定期点検中に密かに燃料棒が充填され稼働していた軍用炉の可能性も指摘されている(圧力容器のフタをはずして稼働しているということから)。
核兵器の引き金部分に使われるトリチュウムは半減期が12年で、劣化するので定期的な核弾頭の分解、更新が必要。

日本の平和利用名目の発電用原発で出来たプルトニウムからの原爆製造は不可能という今までの定説を覆して、原爆製造が可能であるという事実が、つい最近、新聞で報道された。日本の国内外のプルトニュウム保有量は47.1トンということも最近明らかになっている、これは長崎型原爆にして5000発から7000発分という大変な量である。
そしてこれはなんと世界第5位。(中国は不明)
現在、世界の核兵器の総数は戦略、戦術核爆弾を含めて1万6400発という(ロシア8000発、アメリカ7315発、フランス300発、中国250発?、イギリス225発、イスラエル80発、インド約100発、パキスタン約100発・・・)。
このたびのウクライナ紛争で、プーチンが核兵器の使用準備を指示していたという本人発言もある。

1957年5月の岸信介首相の参議院での答弁「自衛権の範囲内であれば核保有も可能である」。
1969年、外務省は「わが国の外交政策大綱」をまとめ、「NPT(核不拡散条約)に参加すると否とにかかわらず、当面核兵器は保有しない政策をとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持するとともにこれにたいする掣肘(せいちゅう、傍から干渉して自由に行動させないこと)を受けないよう配慮する」とある。
原子力委員会の初代委員長が正力松太郎、7代目が中曽根康弘。
国連の国際原子力機関IAEAの現在第5代事務局長はなんと日本人で天野之弥(あまのゆきや・67才)、彼は3.11後も相変わらず原発推進を表明している。普通、発電所の事故の原因調査報告書で黒塗りはない、チェルノブイリ原発事故でも詳細は公表されている。黒塗りは隠蔽である。
主権を持つ国民が政治家の権力を縛るために制定した憲法の9条に違反しているので「掣肘を受けないよう配慮して」黒塗りしたのだろう。核武装して、アメリカ、ロシア、フランス、イギリスに横並びで、破局に加担するような行為は、地球上で平和を希求する、個人として、進化の理想的なプロセスだろうか。
地球上の複雑な食料、資源、エネルギー戦略と一体化した軍事戦略のせめぎあいが一瞬垣間見えた記事だった。

2015年2月17日8時6分、朝食をとりながらテレビで「マッサン」を見ていると三陸沖を震源とするマグニチュード6.9の地震速報があった、4号機の使用済み燃料棒取り出し終了直後でホッとする。
しかし今、1000基のタンクで42万トンの汚染水を貯めている。このマグニチュード6.9の地震エネルギーでは事故後、緊急に建設された汚染水タンクの接合部の劣化したゴムの破損が起ると思った、翌日、原子力◯◯◯?が汚染水の海洋放出を恒常的に認める報道がテレビのニュースの中で一度だけチラッとあった、こんどはタンクの破壊で汚染水大量流出が始まっているのだろうと思った。これではタンク群の下流にある福島第一原発一帯がさらなる高線量で誰も立ち入れない沼地のようになるのではないかと危惧してしまう。
そうでなくとも汚染水の海洋流出で、アメリカは2012年にはアメリカ西海岸の放射能黒マグロ漁を禁止したし、2013年からは日本の14県(2011年は8県)の農産品を輸入停止している、これは報道されない。
アメリカが調査した日本列島汚染地図はネットにある。
ドイツのキール海洋研究センターのスーパーコンピューターでの海洋汚染の2016年までの放射能拡散シュミレーションは頭から離れない。7つの海の海流の循環で事故の5年後の2016年には地球の海全体に汚染が拡散しているという予測、地球はこんなに小さかったの?というショックな予測である。
さらに思うに、水と同じ性質を持ち、除去不可能なトリチュウムが海から蒸発して雲になり移動して雨になって山々に降る。
この「大自然の循環の法則」で地球全体の河と湖と山々と地下水が、年月とともに汚染されてゆく。あの秘境のパタゴニアだってそうなるの?・・・である。

◎2016年5月14日(土)後記、4号機爆発への記述が削除された理由

米国原子力規制委員会の極秘レポートが公開された。
2011年3月18日に作成されたこの報告書の中には以下の内容がふくまれる。

USNRC Emergency Response Update March 18, 2011[PDF]

6ページ:概要

第1号機から第3号機まですべて、制御棒コア燃料は全部損傷となっており、全機に海水注入。
3号機は損傷。完全ではない。
格納容器は全部アウトで制御状態にあるとは言えない。
燃料棒プールは1号機は状況不明。
2号機は水位が低い。
3号機はプールに水がない状態。つまり使用済み燃料棒が露出している可能がある。
4号機から6号機まで、使用済み燃料棒プールの水位が全部低く、海水注入をしている。
(これは、米国原子力規制委員会による2011年3月18日付の緊急オペレーションセンター最新報告の概要です。
 情報源には原子力専門企業のベクテル、GE、東京電力、日本自衛隊が含まれています。)

8ページ:4号機の使用済み燃料棒

4号機の使用済み燃料棒は100%溶融後気化して大気中に放出。

私、武吉廣和はこの極秘レポートの4号機の記述を読んで愕然とした、そして3.11後の日本の現状が腑に落ちた。

9:ケプラー22bへの移住

こうしたことを知ると、無垢な惑星に移住することを空想してしまう。
地球から620光年先に地球そっくりの惑星がある。それは2010年にNASAのケプラー探査機によって発見された、地球とよく似た星、ケプラー22bである。ちょっと遠いが・・・ワームチューブを通るか、次元をスキップして飛んで行けばすぐ行ける。
移住にあたっては、この地球で資源を奪い合い、戦争ばかりして、さらに核に手を出して、移住せざるを得なくなった経緯を反省し、同じ過ちが再び繰り返されないようにしなければならない。

したがって、次のような「ケプラー草案」を提案させて頂く。
惑星ケプラー22bでは、エデンの園の善悪の知識の木の実、即ちテクノロジーには手を出さず、地球のような貧富の格差と戦争をなくすため、貯蔵のきく通貨と米と麦とトウモロコシとジャガイモと家畜と・・・を持ち込まない。
食事は、基本食材として翌日まで保存出来ないモーゼ時代の「マナ」だけが毎日空から供給されるようにする、これで40年かけて地球での習慣をリセット。
ケプラー22bのサスティナブルライフ維持のため、金属鉱床と化石燃料埋蔵場所とくにウラン鉱床は聖地として定め、立ち入りと採掘行為をタブーとする。
石器と土器と丸木舟程度の使用は許可、煮炊きする燃料は自然保護のため枯れ枝だけ、そうすると土器に優しい・・・。
声楽はホーミー、アカペラ、オペラ・・・。
楽器は石笛、竹笛、草笛、口笛、柏手♪・・・竹の太鼓、サヌカイトの石琴・・・♪。

当初の植民基地は、公衆衛生に配慮して下水道は完備しマンホールも取り付ける、各家庭にダストシュートも取り付ける。
公衆浴場は一度に皆が沐浴出来るよう立派なものにする、これはインダス文明最古のモヘンジョダロ遺跡と同じにする。
地球からの輸送宇宙船基地の発着の目標としての地上絵あるいはピラミッドを建設する、これはナスカの地上絵、ギザのピラミッドと同じにする。
宇宙の基本法を表現するための空港広場付き大神殿ジッグラトを建設する、これはペルーにある南米最古の神殿都市カラル・スーペ遺跡と同じにする。
これら地球で最古と言われる遺跡からは武器が出土しないし、砦も無い、子どもたちの玩具は出土する、楽器は出土する、宇宙意識に合流するためのコカ、薬草、キノコ類は出土する。
これは刈谷我野に暮らした縄文人達の暮らしの風景と同じような気がする。
公衆浴場の代わりに物部川があり、マナの代わりに豊富な鮎と鰻と手長エビ。そして、麻の文化。

10:地球の文明は誰が教えたのか

いまのところ西アジアで焼かれた最初の土器は、約9000年前である。
しかしレベルが最初から高い。特筆に値するのは、シリアとトルコの国境、テル・ハラフから発見された7500年前の土器群で、制作者である陶工印の施された美しいハラフ式彩文土器である。
ハラフ式彩文土器は野焼きではなく、燃焼室と焼成室とが分離した「窯」で焼かれている。驚くべきことに、これはもう地球の現代陶芸作家の世界と同じレベル、あるいはそれ以上の技術水準である
4650年前エジプトのジョゼル王の時代、世界最古の石造の階段ピラミッドの地下室のファインセラミックスという現代の最新技術で焼かれた世界最古の美しい青いタイルを考えるときもやはり高度な文明の「手に入る素材」での応用を思う。
5300年前のアルプスの氷河で発見されたアイスマンの体の経絡にそって入れられた入れ墨も「経絡という中国発祥とされていた東洋医学の粋」が3500年前の黄河文明「殷王朝」発祥よりも2000年も古いヨーロッパにすでに存在していたということになる。こうした事例が綿々と続くと、「現代と変わらない高度文明の出没」は一体どうしたことだろうかとしみじみ思う。
このことのヒントになるような予感がするので、
下に「神誥記」(ひふみともこ著/今日の話題社)からの抜粋を記させていただく。

 <宇宙人と地球人についてお教えください>   

 さても下らぬ、詰まらぬ問いなり。さなる違いは明白ならずや。神と人との違いも明らか。
 宇宙人とはあの世に生きて、地球を見守る者を言うなり、なれば神ともいうなれど、宇宙にあるも一つの比喩なり。
 この世と次元の異なれば、地球を覆う宇宙なれども、地球と近き星とも言うなり。
 なれど、宇宙に、空に輝く、目に見ゆ星にはあらざれば、人の考え想像にある、宇宙人とは異なるを知れ。
 宇宙人とは神にあらねば、神と異なり、神に仕えて、神の働き代わりて行う、次元の高き霊体なり。
 なれどこの世に送られて、地球の乱れを正すため、神に使われ、仕えるもあり。
 神の命令、法則に沿い、神のことばを素直に顕し、自ら励みて、神と人とを結ぶみ役もその一つなり。
 なれば多くの宇宙人たち、人と変わらぬ姿なれども、魂見れば、すぐにも分からん。

 <宇宙人も魂を持っているのですか>

 さなり、なれども人と異なるは、元の魂、始めの魂。
 もともと宇宙の作られしとき、始めに神の作りたれば、今の人よりさらにも古く、最も始めに作られし魂。
 今の人類新しく、神の最後に作りし魂なり。
 なれば導く神々たちも、人に任せて、見守りおるなり。

この「神誥記」は竹内文書や九鬼文書という古代日本の縄文文明すなわち古神道の系譜上にあり、戦後すぐの難解な「日月神示」のながれの「分かりやすい最新版」と思う。  
仏教のほうでは神という表現は無いが、菩薩は地球人として生まれたことのある古い魂の宇宙人で、如来とは「キタルガゴトシ」で、地球人としての生活実体験のない古い魂の宇宙人とも読める。
旧約聖書にでてくるエノクやモーゼやエリアや新約聖書のイエスキリストの記録を読んでも、マホメットの記録コーランを読んでも、「この世に送られて、地球の乱れを正すため、神に使われ、仕える存在」として読める。

11:おわりに・・・オリジナルは宇宙人作 ♪

古代インドのモヘンジョダロやトルコのチャタル・フユックやハラフ式彩文土器、日本の狩谷我野遺跡といった古代文明が消えるのは、7300年前の喜界島海底噴火頃に、地球規模での文明のリセットボタンが一度押されたような気がしてならない。
そして再び3500年前頃、夏王朝や殷王朝が生まれた頃、サントリーニ島のカルデラ火山噴火があり、地中海のミネア文明が滅び、モーゼの出エジプトに重なる。
この頃に「神の人間のリーダーを経由しての間接教育」が始まるように思う。
リーダーと民が誤るとその王国は滅ぶ。例えば旧約聖書の「ホセア書」にはその民族の罪状が延々と告げられている。
            
アメリカのイエローストーン国立公園がVEL8(最大)の噴火をするのではないかとの警告がある、ユタ大学イエローストーン火山観測所のボブ・スミス所長の言うように、超巨大噴火が起こり、いまの公園面積と同じ広さのマグマ溜まりがそのまま吹き飛ぶと、直径約100キロメートルのカルデラが形成されることになる、アカホヤ火山灰の喜界島海底カルデラと、阿蘇山カルデラの直径が両方とも約20キロメートルほど、サントリーニ島のカルデラの直径が約10キロだから・・・。
昨年、アメリカ政府はイエローストーンが噴火した場合のために、南アフリカ、ブラジル、オーストラリアなどへの「米国人の数百万人規模の大量移住」を要請していたらしい。これに対して南アフリカ外務省スポークスマンのシフ・マテテ博士は「南アフリカは米国の計画の一部ではないでしょう。なぜなら、何百万人もの白人が南アフリカに送られてきた場合のリスクが大きすぎる。黒人国家としての文化のアイデンティティの消失の危機さえあるかもしれない。」と語っている・・・。

これを書いていて、ケプラー22bにだって先住民が住んでいるる可能性があるわけだから、「米国人の数百万人規模の大量移住」が戦争なしで可能だろうか・・・と考え込んでしまう。
しかし、ホワイトハウス上空にUFOの大群が現れ、アインシュタインがトルーマン大統領に「攻撃しても無駄だ、科学力が違い過ぎる・・・」と答えてから63年も経つ。もう宇宙の基本法を学び、受け入れる時期に来ていると思う。

宇宙も地球も進化創造する魂であり、すべて波動で成り立っていて、我々の心とも影響し合っている。
「愛が宇宙の基本法で・・・科学の水準のほうが、愛の水準をはるかにうわまわってしまった文明というのは、自滅するのに必要な条件をすべて満たしている・・・」 出典:「もどってきたアミ 小さな宇宙人」(P12)エンリケ・バリオス著/徳間書店


◎ 同じ日本列島上、400年前、西暦1200年から1600年での、1300℃の世界での、平底セラミック文化の現代進化型

< 宇宙のなかの純日本の壷

こうして我々ホモ・サピエンスの20万年を俯瞰したが、その中で、私の西暦2015年という「時点」でセラミック・アートを考える時、世界最古の龍窯を研究して40年以上経った今では、地球の文明での進化の意味は「我々ホモ・サピエンスひとりひとりが昇華することと、物質が物質を超え、昇華することとは同じであると理解すること」と思うようになった。
分かりやすく言うと、8000年前の尖底土器作りも面白いし、これは絵画でも、金属冶金でも、農業でも、政治経済システムでも、味噌作りでも、染色でも、フィギュア作りでも、根付作りでも、料理でも、ジャム作りでも同じことであると思えるようになった。
なんてことはないとも思えるような結果ではあるが、これでずいぶん肩の荷が降りた。
「死のうち死ねん思い」がいつのまにか消えている、長生きはありがたいものである。
宇宙と支えて下さった人々に感謝している。
後藤健二さんの痛ましい件でも、つくずく思うが、人が人を殺してはいけない理由は「その人の進化のチャンスを摘み取る権利は誰にも無い。」ということだと思う。

 

 

 

 

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