八 月 展
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祝 高速道路開通  穴窯で赤松30トン、10昼夜の焼成。

期間:2015年 8 5日(水)〜8 26日(水) 時間:AM 9:00〜PM 5:00 *定休日なし
会場:ギャラリー 龍窯
   〒786-0097 高知県高岡郡四万十町日野地326
  <ギャラリー龍窯 地図>
   作家携帯/090-4506-0572
   ● 龍馬空港からギャラリー龍窯まで 車で1時間半。
     四万十町中央ICより 車で25分、松葉川温泉 手前1kmに看板あり。

 
鹿農法

私の祖父、武吉利治は北海道から塩漬けした鰊を俵に詰めた肥料を蒸気機関車の貨車で大量に買い付け、須崎から中村(現、四万十市)方面まで売りさばいていた。
よさそうな俵の中から鰊を引き抜いて、「これはまだいける。」と鰊の腹の数の子を肴に晩酌をしていたという。
いくらなんでも肥料にするほど北海道で鰊が豊漁だった古き良き時代の、信じられない程贅沢な話ではある。

今、ジビエ料理の先進国フランスに習い、様々な香辛料を実験しつつ、鹿のいろいろな部位を調理してワインを飲んでいる。
こんな贅沢をしていいのだろうかとまで思う。猟師のOさんの存在は大きい。
現在、日本中同様、この四万十川上流地域でも、かつて北海道の海から鰊が湧いたように、鹿と猪が山から湧いてくる。
畑の茄子やピーマン、ピーナツの苗が鹿に食べられ、くくり罠猟でその鹿を捕獲して食べる。獲っても獲っても次々と出てくる。罠にかかってすでに死んでいる場合と、胃袋や腸など食べられない部分は畑に埋めて肥料にしている。
にしんを肥料にする「鰊(にしん)農法」ならぬ鹿を肥料にする「鹿農法」である。

私の頭の中では、おとりの畑に隣接した鹿の放牧場があり、定期的に捕獲して食料と肥料にするという作戦になっている。根本的解決にはならないが、こちらの器量で状況に順応して自然からの貴重な恵みを積極的に楽しもうという考え方である。
鹿肉と野菜と里芋、馬鈴薯、さつまいも、山芋、ゴーヤ、大豆、インゲン、カボチャ、トウモロコシ・・・の自給を目標にしている。

奥物部神池秘伝の在来種大豆ハチマキの畑

畑で鹿の角を一本拾った、数年前のことである。もう自分でなんとかするしかなくなったので、鹿のエサ場をひとつひとつつぶすべく、耕作放棄地と、猪の巣になっている竹薮を畑に変え、柵で囲うことにした。
そうこうしているうちに、将来に向けて、圧倒的規模の遺伝子組み換え作物以外の選択肢を残そうという「HATIMAKI PROJECT」が発足、「他の畑から大豆やトウモロコシの花粉の飛んでこない山奥の隔離畑」が必要になってきた。
様々な花の花粉をつけて野越え山越え飛来してくる貴重でかわいいミツバチには今のところお手上げなのだが・・・。

今回の間氷期1万年の気候混乱期を生き延びて来た原種や在来種の作物はその土地の気候変動に強い。
在来種のオーガニックをめざす私の畑は、自然釉と同じ自然農である。
肥料として窒素分は草の腐葉土、カリ分は草木の灰である。リン酸分は掘り出した竹の根と竹とで鹿の骨を焼いて砕いて「骨灰」にして開墾畑に撒いている。
モウソウ竹はナタで四つ割リにして、畑の柵にする(猪が本気になったらひとたまりもなかろうが)。モウソウ竹の小枝は大豆が芽立った時,双葉が山鳩に食べられないように鳩垣にしている。
自然素材によるアースワークと思ってやる。

この春から朝3時に起きて5時前から開墾作業をしている、夜になれば縄文時代の焼き畑の資料や海外移民開拓団の記録、マラウィの2000年の飢餓の記録や、ジンバブエのハイパーインフレの記録、シリア難民キャンプでの通貨の問題を調べ、「シベリア抑留記」等を読んでバタンと寝る。
縄文文化研究所として地殻変動期に伴う混乱解決のありようというものを自分なりに模索している。

私の一日のノルマは、畳一畳分の広さの竹薮の開墾であった、め竹でもナタで斜めに切ると、ゴム長の底を貫通したり裂いたりするので、一本一本地面すれすれにノコで切り、網の目状に錯綜している竹の根をツルハシで切って根気よく掘り出す。
出た大量の石は駐車スペースの拡張工事に使った。
7月のハチマキの種蒔きに間に合わせるため出来るだけ急いだ。そして7月31日にようやくハチマキの種蒔きが完了した。
ほっと一息ついて、これを書いている。
7月中旬の雨あがりの朝、うかつにも寝坊して、いつもいるつがいの山鳩に発芽したばかりの大豆の黄色い双葉がたべられ、モヤシより太くて長い白い根が畑から上手に引き抜かれて散乱していた。5時に夜が明けてからたった2時間半でのこと。
種を播き直したので手許の種は10粒のみ。こうして土用の炎天のもと水やりをして発芽を待っていると、7月の梅雨期間のうちに種を播きなさいということか・・・と、しみじみ思ってしまう。

在来種のトウモロコシの畑

在来種のトウモロコシは、7月中旬までほとんど晴れ間なく雨が続いたので受粉ができているか心配だったが、なんとか収穫できるようになった。
初期にいちいち脇芽をもぐことも大切だが、トウモロコシの害虫アワメイガは花穂が出るまではどうしようもなく一日2本のペースで引き抜いて幼虫を観察捕殺するため葉の中心軸から根元の髄までをバラバラにした。

花穂が出てからもハサミを持って毎日見回り、花穂に粉状の糞の痕跡があれば幼虫を追跡して花穂から軸を下に向けてチョキチョキと芯にいる幼虫を切断するまで切っていくと簡単、一時はどうなることかと不安だったが、当然のことながら無農薬で頑張って結果的に5%程度の被害に止まったと思う。
アワメイガ防除の農薬をいちいち詳細に検索してみると分かるが、人体への毒性は低いクラスのアワメイガ防除の粉末農薬でも、トウモロコシ株の上から振りかければ当然残留し、アワメイガだけでなく、トウモロコシの花穂に蜜を求めて群がってくるミツバチにも強い打撃を与える。

毎朝ハサミを持ってトウモロコシ畑を見回りながら、自分で築いた世界最古の窯「龍窯」で本物の自然釉の壷を焼く事と、自分で開墾した畑でこうして在来種の大豆やトウモロコシを栽培する自然農とはその労力の点で実によく似ていると思う。

文化の戦い

将来はアートと食文化というステージの構築である。
信楽の山中の「MIHO MUSEUM」が日本の自然釉の壷とオーガニックレストランを二本柱にして世界一の美術館として機能していることは、私のギャラリー龍窯のありようの目標ともなっている。

 

 

 

 

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