九 月 展
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祝 高速道路開通  穴窯で赤松30トン、10昼夜の焼成。

期間:2015年 9 12日(土)〜9 30日(水) 時間:AM 9:00〜PM 5:00 *木曜・定休
会場:ギャラリー 龍窯
   〒786-0097 高知県高岡郡四万十町日野地326
  <ギャラリー龍窯 地図>
   Tel&Fax/0880-23-0054  作家携帯/090-4506-0572
   ● 龍馬空港からギャラリー龍窯まで 車で1時間半。
     四万十町中央ICより 車で25分、松葉川温泉 手前1kmに看板あり。

 
アメリカ先住民のプエブロ土器の押し型文

9月に入って急に涼しくなった、少しだけ長いスパンで大まかに見ると、私の小さな畑は去年に続き今年も冷夏、この5年間は一昨年の旱魃を除いて雨の冷夏が4回である。
台風一過で、あまりにも爽やかな青空なので、久しぶりで家族で川に散策に行った、清流にはいつも心洗われる。
鹿農法も順調で、今日、一本のゴーヤの木から12個の大きな実を収穫できた。
在来種大豆ハチマキは白い小さな花をいっぱい咲かせている。

アーミテージ・ナイ・レポートを言いつけどうり強行する安倍内閣や、東芝の粉飾決算、真の政治家、山本太郎の立派な国会演説の情報を見ている。東芝は発表の経緯が普通でないので、赤字の本当の原因はビル・ゲイツと開発した小型原子炉の3.11による頓挫が主なのかなあ・・・と思ってしまう。炉心の直径1メートル、高さ4メートル以下で核燃料の交換が30年間いらないので工場でも潜水艦でも宇宙基地にでも何にでも搭載することができる・・・、しかし、冷却剤が液体ナトリウムというのは本当ににむつかしいので撤退したのだろう。

「大英博物館展ー100のモノが語る世界の歴史」という展観がこの2015年の初夏、東京都美術館であり、NHKの「日曜美術館」でとりあげられた際、池澤夏樹がゲスト出演し、その100点の中から、彼のお気に入りの10点を紹介した。
数年ぶりにクオリティの高い内容だった、彼の審美眼は実にイイ。
中でも、バンデナスの木の繊維で作った、ずいぶん縦長の「アボリジニの編みかご」は良かった。
池澤夏樹は言った「これは2万年間変わっていない。」

2万年間もの時間を、同じ様式のバンデナスの編みかごを持っての狩猟採集というライフスタイルを維持できたアボリジニはものすごい。
2万年前は当然のこと1万年前まで地球は氷河時代で、海面は100メートル低く、日本はユーラシア大陸の一部である。
世界最古の土器が日本の縄文土器で16000年前といわれているが、当時の日本は大陸の一部、世界最古の土器を発見したというニュースが中国で複数あるのは当然である、土器の始まりが16000年前という定説も覆ってゆくことだろう。

8000年前の日本の縄文早期の押し型文土器は、使用していた植物繊維の尖底形の編みかごの編み目を、押し形文という手法で尖底土器に写し取ったものではなかろうかという学説はずいぶん昔からある。
トタンのバケツがそのままプラスティックのバケツに変わることと同じである、新素材に変わってもデザインは同じ。
そして土器そのものの、倒れたら割れやすいという特性から、縄文早期の高知県香美市の刈谷我野遺跡のように「定住集落の発生」とともに、喜界島のカルデラ噴火によるアカホヤ火山灰降下という縄文早期とその後の縄文前期を分ける明確な時代区分指標の7300年前から尖底という様式も押し型文も消え、平底土器に変わって今日に至っている。
狩猟採集生活では食料を求めて常に移動する、一カ所に留まれば食料は獲り尽くしてしまう。野営の洞窟や岩陰では石で固定する尖底のほうがいいが、夏の鮎のシーズンでは川の合流地点で2本の川の鮎を獲って暮らすため、河岸段丘に定住して水平面の土の床に寝るというライフスタイルが生まれたのだろう。
アボリジニは2万年間定住していない、だから編みかごの底は丸い。

偶然というものは無い。
ほどなくして手許に、アメリカから、ユタ州という小さなメモと、堅く焼き締った土器片3点が、知人経由で届いた。
一つは一目でプエブロ土器とわかる彩文土器片、二つ目は具体的に何をどう使ったか使用道具(おそらくへこんだ石?)が未だに分からない叩きの技法の土器片、そして、三つ目は、なんと、押し型文の土器片ではないか。
こういう時の喜びは誰にも分かるまい。十年ほど前、知人が持ち帰った、現代のカラハリ砂漠のブッシュマンが作った、肩に二筋の押し型文が施された煮炊き用広口平壷土器以来である。

プエブロ先住民のアナサジ文化はアボリジニ(土器は焼いていない)と同じような編みかご文化が先行し、その後に土器が焼かれるようになる。プエブロ土器が現れるのは7世紀以降と意外に新しい。
アメリカ先住民が、ユーラシア大陸からベーリング海峡にあったベリンジアという陸橋を通って、アメリカ大陸に渡ったのが15000年前である。
願わくば、押し型文土器の技法は、7300年前の押し型文滅亡の時期に、東北大震災で流失した漂流船のように、太平洋海流に乗って東へ一直線に、カリフォルニアの海岸に到達していてほしかったところであるが・・・なんと日本の飛鳥時代とは・・・6700年という時代差はあまりにも大きい。
縄文草創期から早期の遺跡である宮崎県宮崎市の跡江貝塚出土の縄文土器片が、南米エクアドルのバルディビア島で発見されている、考古学村に認定されるまでにはまだ時間がかかりそうではあるが。

プエブロ土器は世界で一番美しい彩文土器のひとつであるが、素人の悲しさ、押し型文土器の存在は今まで知らなかった。
押し型文が彩文に先行していてほしいところだが、アメリカの考古学界では、もうこの分野の時代考証はとっくに済んでいるのだろうし、結果を知りたい。
自分勝手な妄想をふくらませば、神話を語るであろう彩文土器がトウモロコシの種子を入れる祭器のような宗教的要素の濃い土器なら、押し型文土器は、すべりどめ機能として施された煮炊きするための実用土器だろう。胎土が彩文土器に比して砂気で荒いのでそんなに思う。早速、窯場周辺の木の枝を削って、転がして模様をつける「原体」を復元した、これが「原体」の写真。

高知県からも出土するネガティブ楕円文が押し型文の最古ということだが、ポディティブ楕円文と違って人工的に木の枝から削り出すのは不可能なので、原体は籠編み円筒かとも思うが、私は窯場周辺に自生している芭蕉の花茎の乾燥したものの一部を加工して復元にひとまず使用した、そのものズバリではないのでいまだに捜している。
押し型文発祥の瞬間は自然界にあるものを、柔らかい粘土にそのままころがして使ったとみている。このプエブロ土器の押し型文原体は、葉柄のようなものが成長とともに順次とれた細い幹か枝になる植物そのもので、おそらく土器制作者の周辺に、その植物は生えていたのだろう。刈谷我野遺跡の場合には現代的デザインの押し型文が爛熟とまでいえるほど多様に使用されているが、プエブロ土器の場合はこれ一種類なのだろうか。16世紀以降のスペイン人の侵略で、アカホヤ火山灰降下後の日本と同じように忘れ去られたのであろうか、あるいは、プエブロ先住民のホピ族のように強靭な信仰で平和と伝統文化を守ったのだろうか。


武吉廣和の縄文早期狩谷我野遺跡押し型文尖底土器復元展」 (2009年高知県立歴史民族資料館フリースペース )









日本では押し型文の土器片は約8000年前を意味する。2003年、刈谷我野遺跡の発掘現場で、厚4ミリで押し型内外両面施文尖底土器の土器片の現代的デザインにショックを受けて以来、その超高度な技法とその消えた謎を追ってきた。
地球上の土器の歴史には一体どのような押し型文があったのか、そして、現在もあるのかを調べ始めて十数年になるが、こうして土佐の山奥にひきこもり、鹿とイノシシを食べ、縄文文化的生活を続けているので、当然、進展は無い。
いずれ、夢のなかで、世界の押し型文土器の研究を体系的に完成した老人に会うことだろう。
南太平洋の謎のラピュタ土器を見ても分かるように、多重構造で難解なデザインにまで進化した謎の民族は確かに存在した。

こういう研究はお金にならないが、この世の人生はお金にならないことほど面白い。
自然釉にしても、面白いテーマがいくらでもあるので「どこまで行けるか」という探検の人生になる。
こんな文章も読む人はいないだろうということで書いている、しかし例えば長谷川利行がどんなことを考えていたのか知りたい瞬間があったので、書き残すことにした。

「陶は政(まつりごと)を表す」という言葉があるが、銅鐸と銅矛という青銅器が3世紀末の日本の天皇制成立の謎を鮮やかに解くように、時代の指標になる土器や陶器から、その時代の宗教、政治、経済、金属冶金、科学技術・・・等々、が解明される。
さらには、ギルガメッシュ叙事詩、ゼカリア・イッチンの著作、神智学大要、聖書、死海文書、古事記、竹内文書、物部文書、九鬼文書等々との関連に、何かの手がかりがあるかもしれないと思い、古代土器を調べている。
日本の考古学の時代区分は曖昧で流動するものが多いなか、7300年前(以前の学説では6300年前)のアカホヤ火山灰だけは鮮明に縄文早期と縄文前期との時代区分指標になっている。
縄文草創期、縄文早期を通して尖底土器の合計8000年間の歴史にリセットボタンを押すほどの滅亡の出来事になっているので、当然、竹内文書にしても超古代の歴史書であれば記載があるのでは・・・とも思う。

お筆先や、日月神示に表れる「 ゝ 」の神様、「ね」の字の神様と言われる古神道の神様、天ノ御中主、ヤハウェ、マホメットの神は同一ではなかろうかと思う。
神世紀といわれる21世紀の15年目、DNA完全解読とスーパーコンピューターの出現で、人類学、医学、法制度、政治経済・・・あらゆる分野で地殻変動と地軸の変化が起きている。

アボリジニには紙幣をあげてもすぐ誰かにやってしまうと笑うひとがいたが、ジンバブエのように自国の紙幣が紙切れになったとき、2万年間、生活文化が持続出来たアボリジニの人々を笑うことが出来るだろうか。

<追記>
ネットの画像検索で調べてみると、日本人考古学者であろう方の「lapislazuliな研究生活」というブログの2006年1月5日の記事でチャコ•キャニオン国立公園内の未発掘遺跡、ビニャスコ•ブランコ遺跡での足元に散在する土器片の写真に、胎土は違うものの、この同じ原体による押し型文があった。

 

 

 

 

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