奥四万十賛歌・龍窯展
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祝 奥四万十博  穴窯で赤松30トン、10昼夜の焼成。

期間:2016年 220日(土)〜410日(日) 時間:AM 9:00〜PM 5:00 *木曜・定休
会場:ギャラリー 龍窯
   〒786-0097 高知県高岡郡四万十町日野地326
  <ギャラリー龍窯 地図>
   Tel&Fax/0880-23-0054  作家携帯/090-4506-0572
   ● 龍馬空港からギャラリー龍窯まで 車で1時間半。
     四万十町中央ICより 車で25分、松葉川温泉 手前1kmに看板あり。

 

〜白龍の歌


西暦2016年・ヨベルの年、自然霊は復活し、シシ神の聖地は蘇る。
八色鳥と赤ショウビンは東南アジアから飛来し、
梅雨の霧雨に濡れつつ抱卵し、大ミミズで雛を育て
農民は卯の花の開花とともに、香気のなか、稲の苗を植える。
無事に雛が育ち、稲は豊作を迎えますように。

我が松葉川の川筋は朝晩の大なる気温差で、白龍のごとく霧が谷を這う。
作品は作家の暮らす土地の森羅万象そのもの。
作家のまなこに映った自然霊そのもの。

日本一の御土・黄ノ瀬土、四国山脈の背骨で育った赤松30トンの木霊が壷と化す。
神韻渺渺、神韻渺渺。
たったひとつの壷の誕生で世界は変わる。

出張!なんでも鑑定団 in 四万十町 讃歌

西暦2016年2月14日(日)朝 3:00 起床。

昨日は暖かい春雨、今も時折静かな霧雨の気配はある。
例年なら極寒の時期だが、異常な暖冬で一足早い、春の木の芽起こしの雨である。
今日は畑に出れるかな、と考えつつ毎朝起きる。
それほど開墾作業と在来種栽培の自然農法は楽しいし、鹿の解体作業も陶芸も考古学も同じように面白い。

しかし、連日の株価の真っ逆さまな暴落は遥か以前から分かっていたことではあるが、私の目には、3.11の大津波で人や家々が流されていく映像と重なってしまう。
宇宙の法則どうり、虚実であったお金のしくみが、崩壊していく浄化作用であると前々から分かっていても、私自身にとっても、肉体身で生きているわけで、今後の日本と世界の人類のことを考える。

2月12日に町報がポストに入っていて、派手なフライヤーが目についた。
2月9日の臨時議会でも町長の言及があったが、奥四万十博を全国的にPRする「四万十町合併10周年記念事業」だと言う。
昨年の高知県東部博でも番組になったように思う。
テレビ東京制作のこの番組はNHKの日曜美術館同様に見さしてもらっているが、いろいろ考えさせられることが多い。

まず今、石坂浩二氏が干されているのが如実に問題になっている。テレビ業界から、国民に影響力のある、まともな素養のある知識人が一人一人消えていっているのである、干されて窓際族にされ、プライドゆえに、自分から辞職すように、巧妙な手段で一人一人時間をかけて消されていっていると表現したらもっと的確であろう。ヒットラーと同じ手法である。
高額なギャラがテレビ局の経営を圧迫している為、ギャラの安いお笑いタレント中心に移行しているという経営側面も否めない。

印刷代が安く,再生紙の漫画が書店の大半を占めたり、いつのまにか遺伝子組み換え大豆とトウモロコシしか無くなった食品の現実と似ている、そして、これがさらに本、新聞、テレビ離れを加速させ情報と食糧の自給自足文化を生んでいる。
お宝鑑定団を見ていて、出て来るものがつまらないものばかりで、さっさとテレビの前を離れ、仕事に出る場合と、「こんなすごい美術品が出て来るとは、一体ここは日本の何処なの?」と身を乗り出す場合があるように、この番組には、その地方の文化レベルが如実に現れる。
私も過去に何度か鑑定を頼まれたことがあるので四万十町に何が有るのか少しは分かるが、さまざまな問題が錯綜するので、言うまい、しかし土佐は京都芸大の初代学長の長崎太郎を生んだ土地ゆえ、軽薄な土地ではないとだけは言い得る。

25年前、日本の国津神様に結婚を報告するため、新婚旅行で伊勢神宮に参拝した。
もうひとつの目的は、四日市の友人が持っていた大好きなお茶碗に会いにいくためであった、当時は空中信楽ということだった。
私の人生では、節目節目で、茶碗に出会っている。
一度目は学生時代で、光悦の茶碗、二度目は窯場放浪時代で出口王仁三郎の耀碗、三度目は結婚直前で空中信楽の茶碗、しかし、友人も私も空中ほど軽薄ではないと不審に思っていた。
結局、これは新婚旅行の折に知らされたが、日本で発見された5点目の紹鷗信楽であった、東博の林屋晴三氏の鑑定であった。

私は北大路魯山人、荒川豊蔵、加藤唐九郎、金重陶陽という古陶復元の「新古典派」の次の世代、すなはち、高度経済成長期に力を付け、穴窯による自然釉を体系的に完成し、それを超える世代、杉本貞光と森陶岳の世代に属する。
昨年の森陶岳の85メートルの古備前大窯焚きはその歴史的集大成である。
今月2月24日まで、展覧会が岡山シティミュージアムで開催されている。

古信楽の究極は白くかせた自然釉と言われるが、土門拳氏、出川直樹氏、辻清明旧蔵の壷を超える目標で日夜研鑽した。
この私の「白龍という名の壷」がそれである。

森陶岳が復元した85mの古備前大窯についての武吉廣和の小文

龍窯(ロンヤウ)にはいろいろな系統と種類があって一筋縄ではいかない。
荒川豊蔵のこんもりした風情のある志野の穴窯も龍窯なら加藤唐九郎の勇壮な穴窯も龍窯である。
森陶岳が復元した全長85mにおよぶ古備前大窯も巨大な龍窯である。
丹波の蛇窯はその長い外観から、龍窯と間違われるかもしれないが隔壁があるので唐津系の割竹式登り窯の系統であろう。
つまり直炎式の長大な龍窯が倒炎式の連房式登り窯に移行する過渡期の形態だと思っている。

3500年前に殷でうまれた世界最古の窯のひとつである龍窯は、生まれた当初は長さ5mほど、たっぷりと掛った自然釉が確認されることなく、すぐに灰陶(カイトウ)という名前の、灰釉が施釉された陶器が焼かれる、合理的思考の中国に自然釉は無いように思う。
しかし、フランスのノルマンディ地方の本格的自然釉(酸化冷却)の陶器も散見されるので今後の窯跡の調査に期待したい。
後漢の西暦100年頃、越州(浙江省)の上虞で窯床10m(赤松の炎の長さ)の龍窯でオリーブ色の世界初の青磁、越州青磁が焼かれたことが確認されている。
その後、5世紀に龍窯は窯床8m(雑木の炎の長さ)というかたちで百済の滅亡とともに日本へもたらされた。

須恵部という集団により奈良、平安時代まで青磁と同じ還元焼成、炭化冷却という焼成法で、無施釉の、そして稀に自然釉のたっぷり掛った須恵器が焼かれた。
須恵部は当初、天皇あるいは貴族の特級公務員のような集団であったと思う。
それが、天皇中心の律令制から鎌倉幕府のような封建制に変わる過程で製陶業の陶工となってゆく。
おもな産地は平安時代末に始まる猿投(窯床10mの龍窯が確認されている、灰釉の古瀬戸)や鎌倉時代の常滑、渥美、備前、丹波、越前、室町時代の信楽等の自然釉の六古窯である。

室町時代以降、産地間競争と政治制度により大量生産と薪の効率化を計るため、中世の龍窯(穴窯)は大型化を計る、分炎柱を設けて焼成スペースを広げ、あるいは双胴に、あるいは長大化してゆく。
当然、長くなれば、当初の焚き口から火足が届かなくなるので窯の途中から薪を投入する、その薪を燃焼させるために必要な酸素が下部の穴から窯内に供給され、効率良く燃焼する。
しかし、それまで確保出来ていた強還元という窯内雰囲気は対流により漏失し、大なり小なり窯内の作品を酸化させてしまう結果となる。
あとで強還元をいくらかけても後の祭り、一度濁った自然釉は、もう元に戻らない。
最下部の焚き口に溜まる膨大な量の燠もあらかた消失し、焚き終えた後、炭化冷却はもはや意味をなさないし、出来ない。
埋蔵金のなくなった国家のように、もはや酸化冷却という限られた選択肢しか残されない。
この問題は秀吉による文禄、慶長の役で朝鮮から導入された連房式登り窯ではさらに大きくなる。
そして長大な龍窯よりも、施釉の長大な連房式登り窯はさらに効率的。
当然、龍窯は連房式登り窯によって滅ぼされてしまう。

しかし、芸術(浪費の別名)という視座で窯という存在をとらえると、古代中国で龍と神とは同じことから、龍窯は神の窯という意味になる。これは言い得て「妙」である。
還元焼成、炭化冷却という贅沢でスピリチュアルな焼成をするには上記の理由で窯床10mの鎌倉時代の龍窯(穴窯)が適う。
古墳時代から奈良、平安時代にかけての、底の丸い、招来文化の須恵器が、平安末から鎌倉時代になると、純日本と感じる壷に変わる。しかし、須恵部という先端技術者集団の祭器をつくっていた世代はまだ指導力を失わず、祈りのオーラは残照と言えるにしてもまだ輝いている。
須恵器の頃よりも焼成温度は遥かに上がり、濡れそぼつほど、たっぷりと緑色の自然釉がかかる。
まるで青磁の掟を守るかのように緊張して贅沢な「還元焼成、炭化冷却」が続けられている。

2015年9月18日 西原議員への問責決議の時代的背景

私は建築を学んだが、陶芸家になった、1300℃の窯焚きの専門家である。
火事は約1000℃である。
友人の陶芸家の中には磁石で砂鉄を集め、1500℃の高温になる野ダタラに大量の木炭と砂鉄を投入、玉鋼をつくる実験に打ち込み、そのまま進んで備前長船の刀鍛冶になった男もいる。

「9.11 WTC7は制御解体された・・・建築家・エンジニアたち」というこの動画を見て頂きたい。
私は何度も何度もこの動画を見た。

「9.11 制御解体」の検索結果 - Yahoo!検索(動画)

この短い時間に編集された珠玉のビデオは、9.11が本当はテルミットを使用した専門家チームによる制御解体であることを科学的に検証している。
現代のアメリカの一流の建築家達が署名した「アメリカ政府に科学的解明を求める運動」であり、そのまま真実を求める人々による科学的解明になっている。
登場する建築家と科学者たちの顔の品格と正義の美しいオーラに思わずみとれてしまった。
立派な人々がアメリカにも居ることが嬉しかった。
9.11に対する、本当に正しい見解であると判断し、私は彼らに賛同する。
当然、モンサント傘下のブラックウオーター社のFEMA(アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁)は調査せず、とりあわない。

2001年9月11日から世界は変わった。
その3ヶ月あまり後の2002年元旦、日本の財界の中心部にいる人物から年賀状が届いた「私どもは、第3次世界大戦が始まったと認識しております。」というメッセージがあった。
これには驚いたが、当時の私には「まさか?」というにぶい反応しか出来なかった。
久礼坂の国道工事現場で「テロ警戒」の看板にこんな田舎にテロ?と違和感があったことも覚えている。
あれから15年経ってさすがのにぶい私にも、もう分かる。

2001年10月7日アフガニスタン空爆開始。
NHK解説主幹で、国際テロの専門家の長谷川浩氏が、2001年10月10日、NHK特別番組「あすを読む:新しい戦争と世界」という番組で、世界貿易センタービルの犠牲者の中に奇妙にもユダヤ人がいなかったことに触れた。
そして9.11同時多発テロの首謀者がアラブのテロリストであるというブッシュ大統領の声明を鵜呑みにすることについて、視聴者に注意を促した。そしてその5日後、NHK放送センタービルから転落して変死。遺体は検死解剖されることなく火葬された。

NHK 長谷川浩解説主幹の変死 2001年10月 じっくり掘り下げてみました 911-311 真実を求めて/ウェブリブログ


2003年 3月20日イラク侵攻開始。
2004年 九条の会結成緊急アピール。
2006年 12月30日サッダーム・フセイン処刑、大量破壊兵器無し。
2008年 リーマンショック。
2011年 3.11日本東北大震災。
2011年 12月14日、米軍の完全撤収によってオバマ大統領がイラク戦争の集結を正式に宣言。

2014年 6月イスラム国樹立宣言。 イラン領海で拿捕された米高速艇の謎 - trendswatcher.net

イスラム国による米国人記者2人処刑から2014年9月11日アメリカ軍によるシリア空爆開始。
2015年1月30日イスラム国により後藤健二氏殺害。
2015年9月19日日本で戦争法案凶行採決。

2015年 9月18日 四万十町西原眞衣議員への問責決議。

2015年 10月5日ロシアによるシリア空爆。
2015年 10月20日急増シリア難民EUへ流入。
2015年 11月13日パリ同時多発テロ発生。
2015年 11月14日ローマ法王フランシスコ一世が「すでに第三次世界大戦が始まっている」と発言。

そして今、OPECも崩壊、あれだけ裕福国だったサウジアラビアまでもが国債を発行するまでに追い込まれている。
9.11まで仲良くやってきたイスラム教徒同士を、スンニ派とシーア派を戦わせるために、アメリカとイスラエルとイギリスが制御解体で9.11を自作自演し、ISを作って、人類を戦争に巻き込んできたということではないだろうか?

戦争は悪である。人類の滅亡をなんとか回避しようではないか。

狂妄の安倍晋三首相は2016年2月3・4・5日の連日、衆議院予算委員会の審議において、憲法九条の改定に言及した。

 

 

 

 

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