宮脇賀子・宮脇理奈・武吉宣昌・H.T・武吉貴子・武吉廣和 展 後記
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2014年春、たまたま宣昌がメールで送った新作の写真を見て、「のぶちゃんのために!」と、宮脇賀子がキュレーター役を務めてくれ、高校一年生の理奈ちゃんに招待出品して頂き、妻のマンダラアートも「芸術」として加わった6人展となった。

1.8m×1.8mの入口看板パネルもB2サイズのポスターも宣昌の作品写真を使用、若い世代を前面に出した。




宮脇賀子のマトリョーシカと、娘の宮脇理奈の「象さん」は大作。
シンプルで明るい色彩の立体ハッピーアートの提案である。
このような高さ30センチの展示台では「作家希望の来館者とのかわいい記念撮影」には少し高すぎたが、美術館の空間にも、どんなパブリックな空間にも通用する。

また、若い作家の作品から、大きな可能性が鮮明に見え、来館者が楽しそうに微笑みながら、大胆なアドバイスと大胆な提案をしてくださるシーンが多くあったように思う。




妻は母校の南国市大篠小学校PTA主催、「ふれあい文化祭」にPTA役員として参画、当時の学級崩壊の危機感から「子供たちの心の教育」に何かいいものはないだろうかと思案した結果、同心円の中心から、いろいろなものに感謝する言葉を書き連ねて絵にするマンダラアートに取り組むことにした。
それが発端で学校、美術館、スーパーマーケット、愛地球博等々、様々な場所で作品展示とワークショップという普及活動を続けるようになった。
「子供たちのイメージと感性を育み、豊かに生きる力と新しい自分を創る力を育てるツール」としての大きな可能性に気付き、PTAのOBになってからも、仲のいい母親達と「ママピースのマンダラアートの会」を結成、14年間、主婦業のかたわら、無理をせずに、楽しみながら活動を続けている。
最初にマンダラを描いた世代の子供たちも年長組は24歳~30歳になり、父親や母親になる世代へと成長したので、「ママピースのマンダラアートプロジェクト」の成果を、実際に書いてきた子供たちで確認してみようというコンセプトもひとつの要素として織り込む会場設営をした。
マンダラアートでは、最初のデザイン構想で思考をめぐらせることからはじまり、書き進むプロセスでの地球への感謝の心と言霊の発見、全体を常に心に思い浮かべながら中心から書く文字の繊細な色分解と色彩の選択、描き進めるその場その場での調整と変更をする感性、時間がかかる制作ゆえに生まれる意志力と持続力の培い、完成してからの達成感、等々を、まるで人生の雛形のように体感できる。

この夏は梅雨あけの猛暑から一転、7月末から雨ばかりで、常とは逆に、台風12号に続き台風11号が接近して、今回のファミリー展開催期間に重なった。
台風12号が接近した8月3日夕の窯場での車への作品積み込み時間帯はたまたま雨の晴間となり、開催中ゆっくり進んできた台風11号は8月9日の開催時間が終わった夜に接近して高知県は荒れ始め10日未明には安芸に上陸して通過、最終日10日の朝にはもう晴天で、よさこい祭り本番も午後から無事開催の運びとなった。








ファミリー展はこのような展開で、8月5日~10日という開催期間中、不思議なほど台風の影響を受けず、貴重な出会いも数多くあり、一週間大いに盛会だった。

来場された方々、心のこもったお花やお菓子を贈ってくださった方々に感謝する次第です。
ありがとうございました。
台風のため予約の飛行機が飛ばず、来られなかった方々のために会場写真を載せておきます。           
                           武吉廣和

 

 

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