ピラミッド シリーズ

このシリーズには説明がいると思う。古陶愛好家にとって「訳の分からない」作品がどうして生まれたか。それは1989年の三越百貨店大阪店から始まった。美術画廊での個展開催にあたって「誰もがやってなくて誰もがやれない仕事」という課題が美術部長から出された。
アートの最前線では「創造」こそがすべてのはずなのに思わず逃げ出したくなった。
日本の陶芸は魯山人も言っているように「世の中にコピーでないものは何もない。」という「型の文化」の世界で、数百年の淘汰に耐えての進化こそを尊ぶ。ジャクソン・ポロックやリキテンシュタインもピーター・ヴォルコスも学生時代には影響大ではあった。
しかし海外の陶芸家に魅力を感じていれば海外に渡っていたはずで、焼成方法の順列組み合わせで体系的に完成するのに10年はかかる東洋の古代窯に取り組むはずもない。
東京国立博物館で巨大な真っ黒い水墨画の前に立つ私、昔、中国のある画僧が山奥に籠り一生描き続けたという説明文があったと思うが、分からないなりに、古格があり、なによりその気迫のようなものに圧倒され、結局、東洋美術の精神性の方向に大きく舵をきった、20歳頃のこと。
話は戻る、40歳の私、「誰もがやれない仕事」に取り組み、悩みに悩んだあげく、朝3時に窯場を出て座禅に通った。ある日、老師に問うた、「夜も眠れず、髪も抜け、このまま道なき原野を進むと死んでしまいます。」老師は言った「人間、好きなことをやって死ぬのが一番じゃ。」
以後、死にもせず、10年ほどして「聖なるものの物質化」がテーマとして固まった。
制作中、イメージが見えなくなると静座、見えると作れる・・・の繰り返し。
大阪三越は更地になって遺跡が出土したという記事を見た。
そういえば数年前、滅多に鳴らない電話が鳴った「先生、生きてはったんですか。」